[3]タイヨーエレック解散の噂の真偽について [2015/8/31(月)] |
【サミーがタイヨーエレックに期待したこと】
まず解体に至った理由の前に、サミーがタイヨーエレックに投資して期待したことはなんなのかを簡単に説明しておきましょう。
以前の「マルホン・奥村」の報道の時にも軽く触れましたが、
基本的に名古屋地区のメーカーというのは、名古屋地区の外注のみで「企画→設計→開発→量産」を完結させる傾向にあります。
企画の段階から外注に依頼し、メーカー社内で評価。
そして問題があれば、それをフィードバックしてまた外注展開。
問題がなければ、設計へ。
その設計もまた外注展開。
・・・と、基本的に「メーカー」としてすべきことは「量産へ向けた評価のみ」というのが実情です。
それ自体が悪だとは言いませんが、それではメーカーに「知識」や「技術」としての財産は残らないようになってしまいます。
メーカーの代わりにそれを代行する会社が、名古屋地区には多数存在しますから。
それを良しとしなかったのが、関東メーカーの「ユニバーサル」であり、「大都技研」であり、そして「セガサミーグループ」です。
これらの大手関東メーカーは、基本的なベースの設計は社内にて行っています。
例として「大都技研」の「ぱちんこ・吉宗」をあげておきましょう。
「吉宗」のぱちんこ枠の設計は、「社内設計」のはずです。
ン億というお金をかけて、あの筐体のベースを社内にて展開したのは感嘆の一言です。
対して、「サンセイR&D」の「牙狼〜金色〜」は外注設計です。
あのデータランプ隠しちゃう顔が出てくるやつですね。
ああいうのを作ってメーカーに持ってくる会社が、名古屋には大小合わせてたくさん存在します。
話を戻します。
何から何までの外注展開を良しとしなかったセガサミーグループは、長い目でグループとしてのタイヨーエレックを、中から改善しようと試みたわけです。
そのために、定期的にサミー本体から人を出向させ、タイヨーエレックの意識改革と構造改革を行っていたのです。
社内設計から始まる開発を名古屋でもできるように、人を通して「知恵」と「技術」を広く展開していたわけです。
筐体面は一緒でも、東京・サミーとは違う色をタイヨーエレックで出す。
北斗の拳に依存するだけではない、サミーの柱を作ろうと投資し続けていたわけです。
実際問題、昨年までは「製造ライン」のあり方を改善し、購買機能を東京に集約し、生産においてのコストダウンや製造の効率化をかなりのレベルで向上させてきました。
そして、今年からは「開発レベルの向上」が目標でした。
その矢先の「解体」の運び・・・。
諸々の状況を考慮しての判断かとは思いますが、きっかけとなったのはサミー本体としての四半期決算・遊技機事業の減収報告でしょう。
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