場所は都内。 毎日毎日麻雀漬け。 いつ始めて、今何日が経ったのか、そんな感覚もマヒするほどに皆が集うこの家にいた。 ここにはおかしな吸引力があり、朝になるとどういうわけか人が2人、3人と集まるのだった。 僕も勿論その一人。 なんなら、帰るのが面倒だから数日居るなんてこともあった。 みんなが言うには、学校に行くはずだったのに、気が付いたら此処に着いていたとか、やることもなく家にいても暇だから此処に来たとか、タムロしているというより通っているという表現の方が適切だった。 ここは、僕が小学生から付き合いのある先輩の家。 先輩という表現はしているものの、「お前は本当に人を馬鹿にしている」と言い続けられている。 そんな生意気な僕を、文句は言いつつも面倒を見てくれる心の大きい、そして体の大きい人だ。(ちなみに、第9回の先輩とは別人) この先輩は、麻雀を筆頭に、いつも僕に新しい遊びを与えてくれた。 元々、わが家庭は家族全員が属性雀鬼で、なにかというとすぐに麻雀をすることが多かった。 牌を触り始めたのは、ちょうどゲームボーイのポケモンレッドを買ったのと同じくらいだったと思う。 なんでも、家にある唯一の貴重な物が「象牙の牌」だったらしい。 なので、麻雀には少し慣れていた。 その先輩とパチンコを打ちに行くことはあったが、スロットなんてピエロしか知らなかったし、禍々しいスロットコーナーの雰囲気に一人で近づくことができなかった。 目押しもできない、仕組みも知らない。 そもそも、そんなに打ってみたいと思ったことがなかった。 「ケンもスロット打ちに行くか?」 先輩からのこんなひょんな提案から、デビュー決定。 話し合った結果、機種は「ミリオンゴッド 神々の系譜」となった。 いやいや待て待て、いきなりこの機械か? もっといろいろあるだろう? …という声も聞こえてきそうだ。 今の僕なら「いきなりゴッドはおかしい!」と抗議するが、当時の僕はされるがまま、なすがまま、言われるがまま。 人生で初めて朝から並び、先輩を追うように角2の新台ホヤホヤのミリオンゴッドに座った。 まず、なんにもわからない。 ひたすらに、がむしゃらに「揃えりゃあいい」こんな一心だった。 50ゲームが長かった。 100ゲームなんてしんどかった。 200ゲーム、300ゲーム、もう1万年くらい経った気になっていた。 先輩はGODをそうそうに引いていたが、当時それがなんなのか、偉いものなのかすらよくわからなかった。 一度当たりは引いたものの、投資は6万円目に差し掛かった。 死ぬほどお金を使っている絶望よりも、メダルをスムーズに投入し、どうやったら疲れずに回せるか考えていた。 「ビギナーズラックなんてない。」 そんなことは分かっている。 ところがどっこい、この日が引き強としての資質の目覚めの時だった…(アカギ風味) というのは言い過ぎだが、「その時歴史は動いた」ばりにベクトルが変わった瞬間でもあった。 初当たりのセット中にフリーズ、そのPGG中に、再度PGGが降臨。 今でも「残りゲーム数、意味不明になってるやん」という先輩の言葉は鮮明に覚えている。 赤7も2回(もちろんおやじ打ち)、30連オーバー、流したメダルは約8000枚。 本心を言えば「苦行」だった。 消化にとんでもない体力を使ったのである。 ナビのいうことを聞かなくてはいけない。 下皿からメダルを移さなくてはいけない。 ポロポロメダルをこぼしてはいけない。 いつ終わるかわからない。 アメグレが流れたら先輩を呼ばなくてはいけない。(←なぜか義務付けられた) 勝ってるくせに、これだけツラツラと文句が出てくることも珍しい。 この時、あまりの額にびっくりした。 負け試合を覚悟していたし、一枚5円くらいだと思っていた。 この日、先輩の家に帰る前にパチスロに関する雑誌を買いあさり、ネットの情報を大網ですくいながら掻き集め、本当にイチから勉強した。 特に番長2の解析情報は、本がやぶける程目を通し、ボーナスの最終払い出しの第3停止なんかは、一人でお祈りしながらネジネジしたものだった。 しかしそうはいっても、しばらくミリオンゴッドの魅力からは逃れられなかった。 調べてしまったが故に、離れられなくなってしまったのだ。 愛するがゆえに…的な。 枠揺れ、リプレイの連続、裏モード、左1st、コンチ音、右下がりベル。 こんなアホみたいに数字がグルグル回っている液晶で、リールに色の違う7がいっぱい回っている台で、なぜにこんなにも面白いものだろうか。 実は、今ではハーデスも打てるが、ハーデスが世に出た瞬間は、「ユニバーサルどうした、本当にこれはGODなのか?」と思っていた。 アナザーとはいえ、これでいいのかとショックで3日ほど寝れなかった。 今でも、ハーデスのリール停止音だけは体が受け付けない。 そうして、攻略性と脳汁、という2大要素に完全に取りつかれた僕は、学校でのリア充な青春ライフよりも、健全な体育会精神よりも、禍々しい空間に吸い寄せられていくのであった。 こんなことを書くと叩かれてしまうかもしれないが、僕は生まれながらにして色覚障害を持っていた。 小学校までは気が付かなかったけれど、僕には黄色と黄緑や、ピンクと水色、赤と茶色など区別ができない。 だから、リールの色と光によっては見えにくいものがあった。 でも、そんなことは好きであることの前に、全くの無意味であった。 (心から勘違いしてほしくないのであえて書けば、好きである気持ちの表現であって同情のお誘いではない) パチンコの緑保留と黄色保留と金保留の区別がつかず、隣の友達に「これ金だよね?」と聞き続けて嫌われそうになったことがあった。 そんなこんなで… 勿論、大学もやめて、働きもせずホールに通い一日を終えるような生活を理解してくれる人なんて少なかったし、どうしようもない奴だと馬鹿にされていた。 どうせ理解されないのだからと、昔の友人とも会わなくなっていった。 それまでの僕の人生とは180度違う方向へと走り出した。 それでも唯一、心配して後押ししてくれたのは母。 「あなたが人生で初めて心から夢中になったものなのだから、最後まで頑張るように。」 あほかと。 この大人は一体何を言っているんだと。 もっと怒らないとこの子やばいよ! 本当に何もせんぞ! …という先祖からの声を無視して、背中をそっと押して、僕をギャンブルの洗足池へと後押してくれた母。 僕の先祖は全員、僕という人間によって家系が終了するのを天国から見ているだろう。 いやしかし、先祖たちよ、見ていてくれ。 夢を追ってレバーを叩き続ける、この末裔の姿を。 そう決心して、なんの後ろめたい気持ちも無く、ホールに向かうのだった。 壮大な決心をしたのはいいものの、そんな甘い世界でないのは当たり前のことで。 「先祖さんすいませんでした。 明日こそは僕の2万枚を見ていてください。」 と、寝る前にうす暗い天井にある火災報知機のラベルに向かって手を合わせていた。 そしてこの負けまくっている頃、救世主のように僕の前に颯爽と現れたのが、第9回でお話しした、髭の塊である先輩Aであった。 と、今回はスロットに取りつかれた男として覚醒した時のお話でした。 こうして書いていたら初心に戻って、神々の系譜を打ちたくてたまらなくなってきたので、今回はここまで。 ではまた来週も、お会いしましょう。 【 レバーで綴る夢日記 】 メニューへ
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