[1]スロ吉れっどが完成するまでの語り [2018/6/13(水)] |
皆さん初めまして!
昨今のパチスロライフを如何にお過ごしでしょうか?
このたび、「パチスロ立ち回り講座」ライターの仲間入りをさせて頂きました、元パチスロメーカー開発者の「スロ吉れっど」と申します!
まずこのライター名の由来なのですが、漫画「釣りキチ三平」(実際の原作は全く知らないですがw)を捩ったもので、パチスロの「スロ」、縁起物の「吉」、私の名前の一部である「れっど」を掛け合わせたものです。
そんな私ではありますが、元パチスロメーカー開発者というだけではなく、スロプロ・ホール店員なども経験してきており、更には、某パチンコ・パチスロ業界の専門学校に通っていたこともあります。
つまりは、これまでの人生の大半をパチスロ業界に捧げてきたというわけです。
そして、今回このようなパチスロライターもさせて頂ける事となり、「業界の職種をほとんどコンプリートしたんじゃね?」と思えるほどのスロ人生を送ってきております!!
さて、今回が私の初回連載ということなので、まずは私「すろ吉れっど」が完成するまでを語らせてもらい、少しでも私の事を知って頂ければと思います!
【スロ吉れっどの生誕】
幼い頃からゲームが大好きだった私は、将来はゲームを作る仕事に就きたいという想いから、情報理工系の大学へ進学したわけですが、大学1年生の夏頃に私の人生を大きく変える「あるモノ」と出会うのです。
「あるモノ」との出会いのきっかけは、大学で出来た友人と麻雀で遊んでいた時。
「何か儲け話ない?」「稼げるバイト紹介してよ!」といった何気ない会話が発端でした。
友人の一人が言うには、
「それなら『パチスロ』はどう? 知り合いが毎月20万円くらい勝ってて、バイトもしないで学費や生活費を稼いでるらしいよ。」
との事でした。
高校時代のお小遣いが5千円で、かつ当時は学生だった私にとっての20万円はかなりの大金で、とても魅力的な話でした。
若さと野心に満ち溢れていた当時の私は、そんな景気の良い話があるのか疑いもせずに、後日「パチスロ」が置いてあるホールへ向かう事となるのです。
「あるモノ」、すなわち「パチスロ」との出会いがここから始まったのです。
パチスロに関して何の知識も無い私だったので、同じ様に大学からパチスロを始めたという2つ年上の兄に、パチスロのイロハやオススメの機種を簡単に教えてもらい、いざホールへ出陣。
小さい頃に父親がパチンコを遊技しにホールへ行く際、よく一緒に連れていってもらった記憶がありますが、その当時のまま、そこは活気と熱気で溢れており、まるでお祭り会場の様だったのを今でも覚えています。
高ぶる感情の中、貯金の一部として引き出した1万5千円の大金を握りしめ、兄から教わったオススメ機種である「大花火」へ向かいました。
恐る恐る千円をコインサンドの中に入れて、ジャラジャラと出てきた50枚の貸しメダルを慌てて取り出し、覚束ない手でメダルを投入し、1打1打を噛みしめる様に遊技していたと思います。
そんな人生初打ちの結果ですが、良く聞くビギナーズラックといったものが・・・
起こる事も無く、1万4千円の負けを喰らい(晩飯代として千円は残したのを覚えています)、パチスロは甘くないという事を教えられたのでした。
大抵の人なら、初打ちで負けを体験してしまうと「パチスロ=怖い、危ない」などの印象を植え付けられ、ハマる事もないのでしょう。
けれど私の場合は、負けたままで終わるのは嫌だったので、ネットや攻略雑誌などを読みあさって研究をし、パチスロゲーム「アルゼ王国」で目押しの練習をしたりしてリベンジを誓ったのでした。
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