[3]三店方式の成り立ちとその存在意義 [2015/5/4(月)] |
そこで出てくるのが「金卸し業者」です。
「善意の第三者」が買い取った特殊景品を、ホールとは関係のないこれまた別の「善意の第三者」が交換所から買い取ってくれるわけです。
それをホールに卸すわけです。
そういう過程を踏んで、歴史上警察は三店方式を「ただちに違法とは言えない」と違法性を阻却してきました。
●暴排という大義名分
●暴排を維持するための職業あっせんという大義名分
●仲買排除という大義名分
この3つの大義名分をもって、ぱちんこは「特殊景品」というものを認め、いわゆる「換金行為」を許してきました。
歴史背景やその商業規模があって、「ぱちんこ」は大衆娯楽として認められてきました。
別におべっかを使うわけではないですが、それを認めてもらうために「メーカー」も「ホール」も、この場合においては「行政」だって、闘って「くれた」わけです。
ぱちんこを商業として認めるために。
もちろん、そこにはわたしのように業界の末端にぶら下がっている位では知りえないようなドロドロした話もあったはずです。
それでも、後ろ黒い「換金行為」から業界を守るためにこういう過程を踏んで、今に至るわけです。
では、今はどうでしょうか?
現代のあり方に、業界はついていけているのでしょうか?
答えは「否」でしょう。
当サイトでスロッターズアンケートをやったとしても、大多数の支持を受けて「否」でしょう。
ついていけていれば、ここまでの遊技人口減少に至っていないはずです。
娯楽というものは、時代によって変わるものです。
でも、業界はなんでもかんでも「あの時は良かった」でのど元を過ぎた熱さを忘れ、同じことを繰り返してきたのです。
その考え自体をどうにかするべきなんじゃないかと思うわけです。
某メーカーの方がこんなことを言っていました。
「結局、まだどんぶり勘定感覚が抜けてない」って。
これだけのホールの設備が充実していても、一部のホールもメーカーもそれに携わる業者も、このままでは遠くない落日に目をそむけるだけのような気がします。
なので、一旦「前例を忘れる」べき時に来ているのだと思います。
もちろん、昔のすべてを否定しろ!と言っているのではなく、今よりもっときな臭い時代に商業としてのぱちんこをありものにするために尽力してくれた人たちの「心意気」みたいなものは認めながら、今のままの「三店方式」から脱却するべきだと思います。
だって、やっぱりいびつですもの。
ホールの店員さんが交換所を教えてあげられないって。
そういう細かいところを乗り越えるためなら「ぱちんこ税」はわたしは大いにありだと思います。
ただの感情論で「たくさんとれ!」とかはなしで。
「一時の娯楽」で得た「あぶく銭」だもの。
そのとられた税金が「オリンピック競技場」の柱の一部になっている「かもしれない」って思ったら、それは悪いことじゃないと思います。
っと、アツくなってしまいました。
私は業界で働いているとは言っても、今のままでは「どうにかなっちゃう」業界だと思っています。
メーカーの方も、そこはわたしなんかよりも肌で感じていると思います。
だから、変わることを恐れない方法を、道を作らないといけないと思います。
メーカーだけを紐解けば、団体が一枚岩になったことはありません。
ホールをみても、一丸となって戦っているという話は聞いたことがありません。
遊技人口が1000万人を切ったことでもし「変われる」なら、それはようやくの第一歩のような気がします。
今こそすべての団体が、自分の団体の利益だけではなく、「業界」の利益を考えるタイミングだと思います。
ちなみにですが。
この記事は以前いただいたコメントで、
「わかってるじゃん、太りすぎたって。だったらダイエットだろ?このまま死ぬよりましじゃね?」
とご指摘いただいたことに触発されたものです。
正直すごいなって思いました。
言い得て妙だと。
確かにそうなんです。
ただし、ただ脂肪を減らして痩せたと勘違いしたら、またリバウンドしますからね。
そうならないために、しっかりした筋肉をつけないと。
その筋肉の一部は・・・。
そうです。
「まっとう」なエンドユーザーの皆様です。
お時間です。
ご拝読ありがとうございました。
【 回胴小噺 】 メニューへ