[1]ケン-スティーブン、初陣! [2015/12/2(水)] |
どうも、スロ意識高めの読者の皆様はじめまして。
ハナビで1000ゲームハマりを喰らって、大好きだったハナビが突如怖くなってしまいました、ケン-スティーブンと申します。
この度、まさか選ばれるとは思っていなかったのですが、熱いパチスロへの情熱を管理人クランキーさんに評価していただき、専属ライターとして採用していただけました。
簡単に自己紹介させていただくと、東京都に生まれ、小学生はリトルリーグでキャッチャーを、中学生からはもともとやっていた競技スキーを選択し、大学まで現役バリバリのアスリートとして日本全国を行脚しておりました。
車で山形県から鳥取県までスキーの試合の為に移動したこともあります。
高校・大学も付属だったので、受験をすることもなくスキー三昧の暮らしをして、一年中冬休みのような生活をしているとクラスの友達には思われていました。
そんな大学生のとき、膝の靭帯断裂と腰の腸骨という骨を剥離骨折したところから、スキーライフに終止符が打たれたのでした。
リハビリをするでもなく、気持ちが前に向かないまま毎日麻雀ばかりする毎日。
そんな時、友達に連れていかれたのがきっかけとなり、パチスロの世界に足を踏み入れることに。
するとアルバイト先の先輩A(のちの師匠となる人物)に、
「スティーブン、どんなパチスロ打つの? 俺も昔はよくやったんだけど、資格試験の勉強はじめてから打ってなかったんだ。 試験も終わったし今度一緒に行こうよ。」
と言われたことが、パチスロにはまっていく全ての元凶でした。
この先輩Aに設定、読み、立ち回りの基本の基を教わりました。
よく「なんでそれ(その台)打ってんの?」と怒られては夜な夜なミーティングの繰り返し、なんていうあの日々が懐かしいです。
こうしてすぐに体育会寮を飛び出し、365日をパチスロに費やしたいと思って一人暮らしをはじめ、気が付くと学校を辞め、神奈川と東京を回る毎日でした。
当時はまぁまぁ調子も良く、家賃・水道・光熱費など全て自分で払っていたことと、保険として土日や深夜にアルバイトをしていたので、生活には困ることなく過ごしていました。
もともと、生活が立ち行かなくなるようならきっぱりやめようとは思っていましたが。
そうこうしているうちに、先輩Aは就職が決まり(人生3回目5年ぶり)、パチスロは新基準なるものが顔を出し始めたのです。
当然4号機世代の先輩はパチスロから離れ、「夢ない」という一言を残して社会人としての階段を昇っていってしまい、僕は一人ぼっちに。(とは言っても東京に帰ったときはよくつれ打ちするのですが)
自分は5号機世代なので「昔はよかった。4号機は…」という諸先輩の話はよく耳にしておりましたが、4号機の事は全く知らないわけです。
なかでも、5号機になって勝てなくなったという声を本当によく聞きました。
そんな風潮がどこか嫌いでした。
自分としては、「えっ、楽しくて勝てる台いっぱいあるじゃん。 昔の負け額とかの話のほうが恐ろしいよ。 某ミリオン●ッドとか。」という印象でしたね。
とにかく、「新基準機だから勝てない」ということにどこか納得できず。
確かに特化ゾーンが多すぎたり、煽りが派手すぎたりする部分もありますが、だからといって勝てないわけではないと思うんですよね。
そして何より、楽しい部分いっぱいあるじゃん、て。
だから、なんか残念だなぁと。
このまま「パチスロ終わってるから」って言われるの悲しいなぁ、っていう気持ちは強くなる一方でした。
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