[2]北海道と勘太郎 [2018/9/17(月)] |
揺れが収まり、ホテルの廊下は泊まっていた中国人と韓国人が大慌てで大きな荷物を持って階段を駆け下りていました。
揺れた後、すぐにテレビをつけてみようと試みると、ちゃんとテレビはついて、速報が流れていました。
「停電していない? ・・・あ、良かった、停電はしないんだ。。。」
と思ってた矢先、ホテルの非常灯が付きテレビが消える。
「あぁやっぱりね、そりゃそうだ。 停電するわ、あんなに揺れたら」
と、あっけらかんというか、東日本を経験していたせいか心は落ち着いていました。
慌てることもなく、僕はそのまま寝ました。
「寝たんかい!!!」と、嫁にもすごい勢いで突っ込まれましたが、あの地震で崩落どころかヒビ一つ入っていなかったホテルの外観を見て、勝手に大丈夫だと判断したのと、研修の疲れもあってのことだと思いますが、普通に爆睡しました。
朝6時ごろに目が覚めると、煌々と部屋の非常灯がついている。
それがまぶしくて起きてしまいました。
ホテルの朝ごはんのビュッフェが中止となっていることを知り、ここでふと思い出す。
「あぁ、食料を確保しないと」と。
3.11の時も、近所のコンビニやスーパーから食料が一気に無くなったのを思い出したのです。
すぐにコンビニに行ってみると、なんと普通に開店して営業している。
「あぁ、すごいなぁ」と素直に思いました。
だって、コンビニの店員さんだって被災者です。
それなのに、朝からちゃんと出勤し、店舗にあるだけの在庫をさばき、店の外まで行列ができる勢いの客をさばき、レジは停電で使えないのに、非常用のワイヤレスの手持ちレジみたいなもので休憩なく働いていらっしゃる。
本当に、ただただ「凄い」としか言えません。
僕も速攻で3日分くらいの水と食料を確保し、ホテルに戻りました。
するとここで、また思い出す。
「あぁ、充電だ」
そうです、携帯の充電です。
研修先に行ってみると、そこは公的機関であるため電気が優先的に回されたのか、自家発電なのかわかりませんが、一部で電気がついており充電ができました。
僕はauユーザーです。
通信状況の電波はこちらに帰ってくるまですこぶる良好でしたが、docomoユーザーは通信がとても不安定になっていました。
家族と連絡取れない同僚もいました。
au社の方も必死で頑張っていたのでしょう。
ありがとうございました。
そしてここで、もっと重要なことに気付く。
「・・・俺、帰れないじゃん」
今回の出張で余った時間を有効に使おうと思い、9/5からレンタカーを借りていた僕。
ホテルの横の立体駐車場に止めたままでした。
この立体駐車場がエレベーター式だったので、停電により車を収めているガレージを動かせず、車が出せないことが判明。
「最悪ホテルに乗り捨てることになるかもしれない」
と、レンタカー屋さん本社に問い合わせてみると(札幌市内の固定電話は使用できない状況でした)、
「こういう状況ですから、それで結構ですよ」
と、これまた神対応。
だがしかし、ネットで状況を確認すると、市内から新千歳空港に行く術がない。
電車・バスは営業しておらず、街中にタクシーも走っていない。
走っていても、ほぼ乗車中でつかまりゃしない。
「終わった・・・」
「ホテルは9/8まで取ってるからとりあえずの寝床には困らないけど、もしそれを超えてしまったらどうしよう」
そんな不安を抱えながら街を彷徨っていると(もちろん研修は中止)、なんだかいい匂いがする。
…炊き出しだ!!!
真っ暗な居酒屋の前で、カレーを配っているのはそのお店の店員さん。
「温かいカレーありますよ〜」
「どうぞ〜」
と、笑顔でおにぎりやお惣菜を作っていました。
僕もありがたく頂きました。
火は、炭を使っていました。
おいしい。
なんておいしいカレーなんだ。
ありがたい。
僥倖。
涙が止まらない。
ボロボロ泣き出す勘太郎。
世の中には、優しさでできている人がたくさんいるんだと心から感謝しました。
店の周りには、海外から来た観光客もいて、一緒にカレーを食べました。
横に座っていたアメリカから来た老夫婦は、音楽のコンサートのため来日し、ついでに日本を観光する目的で札幌に来たとのこと。
「明日は東京に行きたかったけど諦めたよ」と言っていました。
炊き出しにもとても感動していて、「I LOVE JAPAN!!」と連呼し、笑顔で握手して、お互い気を付けてと言って別れました。
こんな状況なのに日本を愛してくれていると。
嬉しいじゃありませんか。
そんな嬉しさから、ホテルへの帰り道でまた涙ぐむ勘太郎。
こうして、ホテルに無事到着。
これからのことを考えます。
停電の状況次第では、この状況がかなり長引くことが予想される。
ニュースでは、完全復旧に1週間かかると言っています。
泊まるところを探そうと、付近の小学校や中学校を探すと、避難所としてすでに解放されているようでした。
しかし実際に行ってみると、ホテル周辺の避難所はすでに満員。
なぜか、中国の方と韓国から来た方で、すでに日本人はお断りと言われてしまいました。
ベビーカーを押したご夫婦も断られていたようで、頭を抱えていた姿が今でもよみがえります。
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