[2]パチスロライターとしての意気込みを語る [2016/1/8(金)] |
<パチンコ・パチスロ依存症と戦う>
ただ、上記のような事はメーカーもホールも私に言われるまでもなく分かっているのだと思います。
にも関わらず、ああいった事を言わざるを得ない背景に、パチンコ・パチスロ依存症の問題がある事は私も理解しております。
私自身もその昔、代打ちをお願いしていた友人に預けたお金を騙し取られ、友人がそのお金でパチンコを打っているのを目撃してしまった経験があります。
その友人に「私に嘘をついてまでお金が欲しい」と思わせたのは、間違いなくパチンコの魔力であり、そうした側面がパチンコ・パチスロに存在する事も十分に理解しているつもりでおります。
しかし、それがパチンコ・パチスロの面白さに起因する、面白いが故に熱中し過ぎる事が悪いとは私は思いません。
諸悪の根源は「射倖性」という言葉の意味する通り、「思いがけないほど大きな利益を努力もせずに手にする事ができる時がある」という事と、その裏返しとして「正常な思考・通常の生活を妨げるほどの大金を失う事がある」という事なのだと私は考えています。
そして、それが「パチンコ・パチスロはお金がかかる」、「ハマると生活が破綻する」、「パチンコ・パチスロが好きな人はどこかちゃんとしていないんじゃないか」という世間のイメージを産み出しているのだと思います。
私も、たまにパチスロ動画を視聴する事があるのですが、中には「10万負けた、ドッカーン」とか「この1万円を使ってしまうともう生活費がありません」みたいな事を言って笑いを取ろうとしているものがありますよね。
一ファンが個人としてそういった動画を配信するならまだしも、そんな動画を来店イベントをやるような有名人が配信していたら、やっぱりそういう世界なんだと思われてしまっても仕方ないですよね。
少なくとも、「ちょっとパチスロに興味が出てきたんで」というレベルの視聴者がそれを見たとして、じゃあパチスロやってみようとはならないでしょう。
確かに、大きく勝ったり負けたりした方が動画としては華がありますよ。
でも、そういった面白さとはパチンコ・パチスロ界は決別すべきなんですよ。
それが業界の目指している「低射倖性」という世界なんだと私は解釈しています。
とは言え、高射倖性が悪い=面白過ぎるのが罪だとは思いませんし、射倖性を下げる=面白くなくするという事だとも私は思いません。
ただ、これからのパチンコ・パチスロ業界は面白さのベクトルを勝った・負けたという世界から別の方向に向けていかないといけない転換期にいるという事だと私は考えています。
そして、私もライターという立場でこの業界と関わる機会を頂いた以上、新しい面白さのベクトルを提案し、実現していく、そんな存在になれたら良いなという気持ちでおります。
これが、ライターとしての私の目標です。
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