[3]忘れられないあの悲劇 [2014/3/10(月)] |
地震後一週間して仕事場にいった。
勿論たいしてする事もない。
お客さんの所に電話をかけて大丈夫ですか??というぐらいだ。
この時ぐらいから、P業界では入替自粛の話がチラホラ出ていたみたいだ。
結果、全国的には一か月入替なし。
東北は三か月の入替自粛が決まった。
なので余計にやる事はなかったが、一つだけ、機械代の集金業務が残っていた。
うちの会社は基本的には納品日の翌月末から、小切手や手形で集金をするというスタイルだ。
まぁ当然3月の末に集金があった訳だが、そんな事出来る訳もない。
あの状況で機械の集金をするというメーカーはほとんどなかった。
もうそんな状況でもなかった。
結局緊急事態という事で、集金自体が二か月遅れる事になった。
そしてなによりもまず、あちこち移動するだけのガソリンがなかったのだ。
ガソリンには本当に困った。
10リットル入れるのに半日待った事もある。
というか、あの時は何を買うのにも数時間待ちといった状況だった。
スーパーにいってオムツを買うのも3時間待ち。
コンビニでお菓子を買うのも3時間待ち。
配給のご飯をもらうのも1〜2時間は当たり前に待った。
ただ、誰一人として文句を言う人はいなかった。
それどころか、哺乳瓶にお湯を入れてもらおうと列に並んでいた僕に、前のおじさんがこう言うのだ。
『ばかやろう! 何並んでんだ。 大人は我慢できるが赤ちゃんは無理だ。 早く前に行け! おーい、先生! このおとうちゃんにお湯入れてやって!!』
あの地震が起きた日から数か月。
僕ら家族は何度も暖かい心に助けられた。
避難所で寝る時も夜泣きする我が子を責める人はいなかった。
そこにいたのは、一緒にあやしてくれる人や、オムツ・ミルクを持ってきてくれる優しい人ばかりだった。
自分の家族や親戚の安否がわからない人も沢山いたのに、『こういう時はお互い出来る事をやればいいのよ、私だってこの赤ちゃんの笑顔にどれだけ救われてるかわからない。』、もう言葉もでなかった。
あの地震で唯一良かった事は、人の芯の強さ、優しさというものを強く感じられた事だと思う。
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