[2]忘れられないあの悲劇 [2014/3/10(月)] |
とんでもなく長く感じた地震も、少し収まってきた。
『建物が崩れるぞ! 早く外に出ろっ!!』
他部署の人の声が聞こえる。
なんとか事務所から外に出る。
地面にしゃがみ込んだまましばらく動けなかった。
尋常じゃないぐらい体が震えていた。
少し経って落ち着いてきて思い出す。
嫁と子供は大丈夫だろうか??
あの当時、花火にはまだ首も座っていない三か月の息子がいた。
事務所の様子と自分の家の様子を重ね合わせて青ざめる。
いてもたってもいられず、『僕、家いってきます!!』
車に飛び乗った。
道中、更に僕は不安になった。
信号は止まり、水道管が破裂して水が噴き出している。
建物が潰れたり、大型家電店の天井は落ち、壁は剥がれ落ちている。
家に近づくにつれ、怖くて怖くてしょうがなくなった。
住んでいたアパートが見え、とりあえず建物がある事に安心した。
駐車場に入ると、息子を抱え、片手には哺乳瓶を持った嫁が見えた。
僕の姿を確認して、嫁が泣いているのが見えた。
息子はのんきに笑っていた。
思わずつられて笑ってしまった。
その時ぐらいから、季節外れの大雪が降ってきた。
その後避難所で寝泊まりし、結局その生活が一週間続いた。
当然電気もガスも水道も携帯も使えなかったので、情報は口コミ、ご飯は支給されるものを食べた。
情報も大した状況が解らなかったから、あんな大事になってるとは思いもしなかった。
兎に角風呂に入りたい、それぐらいのもんだった。
一週間して電気が回復して、おおよその状況が掴めた。
なんだか現実感はなかったが、隣町が津波で崩壊している映像を見て、愕然としたのを覚えている。
ちなみに水道は10日、ガスに関しては一か月ぐらい止まったままだった。
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