[1]予定調和という名のパチスロ記 -完結編- [2014/9/23(火)] |
8月に入ってから、妙に上がり始めた収支。
"なにかがおかしい"日々が続いていた。
いや・・・
全ては最初から用意されていたのだろう。
俺に専属で憑いているアイツは、昔からアメとムチを使い分けるのがうまい。
全く勝てない時期が長く続いたと思えば、どうやったら負けるんだというくらい勝ち続ける時期もある。
俺は真っ当な人生を歩んでしまわないように、生かさず殺さず飼われているのだ。
そしてその時がくれば、容赦なく処刑される。
どれだけ冷静に考察しても、どんなに上手く立ち回っても、最後は「負け」というひとつのゴールに辿り着く。
敷かれたレールを歩くようなこの伏線を、俺は避けることができない。
そうなるまでがワンセットだからだ。
それが予定調和という名の運命。
俺にできることは、ゴールを切るまでのその少ない時間の中で、思い付く限りの贅沢をすることだけだ。
■ 記憶その3 ■
8月未明。
ここ3ヶ月程まともにホールに行けなかったせいからか、パチンコ屋というものをかなり客観的に観ている自分がいた。
今までなら、金とヒマがあれば当たり前のように行っていたパチンコ屋。
それが、「負けそうだから今日はやめておこう」なんていう、過去をほじくり返しても絶対に出てこない言葉が脳裏を走るようになっていたのだ。
それからというものフラッと行って打っていても、
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ここはパチンコ屋・・・
どう転んでも店が儲かるようにできている。
相手の方が一枚も二枚も上手なのだ。
そんな不利なギャンブルに、俺はなぜ何万円も使おうとしているのだろう・・・
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そんな疑問を抱きながら打つようになっていた。
ウン万円使ってド派手に始まり、150枚で終わるAT。
天国という名で追い金をさせる地獄モード。
プレミアフラグを引いても、さらにヒキを要求してくる特化ゾーン。
当てても当てても、不安定な出玉が続くぱちんこ。
冷静に考えれば、理不尽な台ばかりが跋扈している。
俺は本当にこのギャンブルを楽しんでいるのだろうか?
実はただ、黄金時代の思い出が払拭できずに名残打ちしてるだけなんじゃないのか?
そんな葛藤も交錯していた。
俺は5号機になってから今まで、楽しめればいいと思って打ってきた。
勝ちにくいと思ったことはあるが、面白くないと思ったことはない。
もちろん勝てるに越したことはないが、やはり俺にとってパチンコ屋は遊べてナンボなのだ。
だが名機は次第には消えていき、出てくるのは運まかせのギャンブル台ばかり。
ハイエナに徹するなら、収支も上向いていくだろう。
新台やイベントだけを狙えば、高設定をツモることも多いだろう。
でも楽しめるなら、少しくらい負けたっていい。
昔みたいに目をギラつかせての勝負は、もう正直したくないのだ。
だが今はもう、その楽しむ事が難しくなってきている…
低レートで遊ぶという選択肢もあるが、勝てば結局高レートに戻り、堂々巡りになるだろう。
「もういっそのこと、やめてしまえば・・・」
そんな結論に、辿り着くべくして辿り着いた。
過去に何度も試みてきたこの"やめる"という選択。
だがやめれたことなどなかった。
パチンコ屋には、それだけの魅力と魔力がある。
「もし今日行って負けたら、絶対にやめよう・・・」
俺の中に、今までにない強い意志が生まれていた。
やめたいけどやめたくない。
勝ちたいけど負ける必要がある。
そんなジレンマが生んだ決断だった。
キッパリと踏ん切りをつけるには、トラウマ級の大敗が必要だと何かで読んだことがある。
負けるが勝ちという逆説だ。
今日その全ての答えが出るだろう。
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