[1]座右の銘は『一意専心』 [2015/1/14(水)] |
パチスロ立ち回り講座をご覧の皆様、こんにちは。
2度目の登場、二見りょうです。
不安いっぱいの初回でしたが、多くの方から感想の投票、コメントを頂き、凄く嬉しく、そして感動しました!!
応援コメントは素直に嬉しかったですし、今後に向けて励みになりました。
手厳しいコメントも真摯に受け止めまして、向上していけたらと思っております。
また今後も、是非とも投票&コメントの方、ドシドシ頂けると有難いです!!
さて、二回目となる今回ですが、この実戦を題材でいこう!なんて張り切って考えていたところ、管理人のクランキーさんから痛烈な強カットインメールが。
なんと、「自己紹介も兼ねて、二見りょうの歴史をがっつりと語って下さい」とのこと。
自分で自分のことを語るなんてなんだか恥ずかしいお題ですが、指令が下った以上、今回はこのテーマで書かせてもらうことにします!
かなり長いですが、お付き合いいただけると嬉しいです!
それでは改めまして、「二見りょうの歴史」はじまりはじまり〜。
時は1981年4月、三重県伊勢市は二見町にて、一人の男の子が誕生しました。
そしてその男の子は、スクスクと元気に成長していきました。
・・・はい、こんなところから書き出したらキリがないですよね。
ということで、しょーもない辺りはサササっと飛ばしますんで!
全てがしょーもないからもういいよ、ってツッコミはご勘弁ですよ!!
ちなみに、二見りょうというライターネームの由来は、至極単純な理由であったことが分かって貰えたかと思います。
地元ラブ!
話を戻しまして、小学4年生から大学まで、実に10年近く野球一筋の人生を歩んできたんですが、どこでどう間違って今の様なパチスロ一筋生活となったのかをこれから綴っていきたいと思います。
■第一章 : パチンコとの出会いと奇跡の攻略本
僕が初めて触ったのは、パチスロではなくパチンコでした。
高校在学中、少しだけパチンコに興味のあった僕は、卒業したら連れて行ってと親父におねだりしていたのです。
高校卒業後、約束通り近所のホールへ連れて行ってもらい、「これを打て」と座らされた台は「初代わんわんパラダイス」でした。
5000円分のパッキーカードがモノの数十分でなくなり、「想像と違って全く面白くないし恐ろしい」と感じたのを今でも覚えています。
とまあ、こんな感じで初のパチンコ体験を終え、その後は大学に進学して大人しく野球に勤しんでいたのですが、パチンコを打つ友人に誘われ、ちょくちょく暇があればパチンコを打つようになっていきました。
小学校時代から野球の成績をノートへマメにまとめたりすることが好きだったこともあってか、誰に言われるでもなく自然にパチンコの収支表を付けていたのですが、ある日、その収支表を見て「色々とデータとか見ながら打っているのに、なんで負けているのだろう」、「何とかして勝てないものだろうか」と、負けず嫌いな僕は考える様になりました。
試行錯誤を繰り返し、一進一退、二退、三退・・・。
何をやっても思い通りにいかないなと行き詰まっていた頃、ついに運命の出会いが!!
それは何かというと、某週刊誌に載っていた「○○伝説」というパチンコ攻略本でした。
「これはえらいものを見つけてしまった!」と、大急ぎで友人に報告。
僕と同じく負けが込んでいた友人も、「これはアツいモノを発見したな!」とテンションマックス。
『定価50000円のところを今だけ25000円!』との煽りもあって、買うなら今しかないとの衝動に駆られ、二人で12500円ずつ出し合ってその本を購入しました。
そして、その攻略本の手順に則って台選択していくと、何故か二人して序盤に大勝ち!(あくまで偶然なので悪しからず)
これはイケる!とその攻略本の虜になっていました。
ちなみにその攻略本には、「何番台は何時から何時までの間に当たり易くなります」とか書いてある表があって、その時間になるまでホールのトイレでドキドキしながら、そして何か悪いことをしているような気持になりながら、該当する時間を待っていたこととかもありました。
バカ丸出しですね(笑)
そんなこんなで、その攻略本を使ったり、オリジナルの立ち回り(完全にオカルト)を取り入れたりしつつ、一年間が経過したところでの収支が…。
まさかのプラス2万円!!
今になって考えれば、このプラスの要因は「たまたま優良店に通えていた」ことと、「極度の上ムラ」から来た結果だと分かりますが、その当時は、上手く立ち回ったぜ!とばかりに何故か自信に満ち溢れていました。
※攻略法の類はガセなので信用しないように!!
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