[2]座右の銘は『一意専心』 [2015/1/14(水)] |
■第二章 : 驚愕の事実、パチスロは勝てる!?
ここまでの話から、パチンコ漬けの日々を送っていた様に思われるかもですが、本分は勿論のことながら野球。
社会人野球の選手を目指していたりしたので、野球は野球で真剣に。
パチンコは基本的に休みの日に行っていました。
とある日、優しくしてくれていた野球部の先輩の部屋で麻雀をしていた時のこと。
先輩に「最近パチンコの調子はどうだ?」と聞かれ、ドヤ顔で「勝っていますよ!一年間で2万ほど」と答えたところ、まさかの大爆笑。
なして!?
勝っているのになして!?
大爆笑の意味が分からん、と思いつつ少しムッとしていたら。
「パチスロは打たないのか?」と先輩から聞かれ、「パチスロは難しそうだし、パチンコの方が自信ありますから」と、またも意味不明にドヤ返ししてみたところ、本棚からノートを取り出し、あるページを開く先輩。
それはパチスロの収支表で、覗き込んでみると、ビッシリとプラス収支が連なっているではありませんか。
そして、トータル収支と書いてある部分を見て仰天!!
『プラス60万』
え!?
一カ月ですよね!?
見たことも無い数字に腰を抜かす僕。
というのは大袈裟ですが、凄い大声を出してビックリしたのを憶えています。
それと同時に、「これはパチンコなんてやっている場合じゃない、パチスロを憶えるんだ」と決意しつつ、練習をサボりがちだった先輩を見つめ、「てかこの先輩、野球をやらずに何をやっとるんだ」と、心の奥底で軽くツッコミを入れておきました。
■第三章 : まさかのトラブル発生!やさぐれる二見りょう
パチスロを憶えることを決意した僕は、先の友人に相談。
その友人は高校時代からパチスロも嗜んでいたらしく、一通りのことを教えて貰いました。
パチスロには目押しが必要であり重要。
設定というモノがあって、設定が高いほど出るから高設定を狙う。
パチスロには高設定を入れるイベントがある。
・・・等々、オカルトパチンカーとは思えぬほど、しっかりと基本的なことを教えてくれました。
そして、初のパチスロに挑戦。
同年代スロッターの方が聞いたら意外かと思われるかもですが、人生初のパチスロ実戦は「ドンちゃん2」でした。
余談ですが、後に愛しすぎて実機を購入したほどで、今は友人の家の倉庫に設置して貰っています。
そんなドンちゃん2との初対峙。
3連ドン狙いが目押しを憶えやすいと教えて貰い、レア小役等の概念を一切知らない僕は、チェリー取りこぼしまくり、涼取りこぼしまくりで、一心不乱に3連ドンちゃんを狙い続けました。
その甲斐あってか、なんと初打ちから目押しが少し出来るようになり、その後に別の先輩から、大花火はドンちゃんのはみ出している手を見ろ、青七は正面を通過する時にバックランプが透けて光るからそれを目安に押せ、等の教えを受け、メキメキと目押し力が上達していきました。
自分でも攻略誌を購入して勉強し、イベント等も意識して立ち回った結果、小遣い稼ぎ程度は出来るようになり、野球とパチスロの両立?が上手くいっている様に思えたこの頃。
しかし大学2年の春、悲劇が起きました。
監督に気に入られていたこともあってか(コントロールの良いピッチャーが好きだった)、一年の時から公式戦のベンチに入れて貰ったりしたこともあって、「これは2年になったら先発ローテーションの3番手くらい狙えるぜ!」と意気込んで迎えた秋季キャンプ。
まだ体が暖かさに慣れてない時期に、いち早く仕上げてブルペンとオープン戦でアピールだ!と張り切り、飛ばしまくって調整した結果・・・
遠投した瞬間に、その場から動けなくなるほどの激痛が腰に。
結局、治療後に腰の痛みは取れたんですが、90メートル以上投げられた遠投は全力で投げても70メートルちょっと、速球は10キロ以上遅くなる、といった謎の後遺症が発生。
もしかしたら、もう少し頑張れば元の自分に戻れたかもしれませんが、その時の僕は、「こんなんじゃ社会人野球どころじゃない」と、野球に対して絶望を感じていたのでありました。
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