[4]座右の銘は『一意専心』 [2015/1/14(水)] |
暫くの沈黙の後。
「本当にそうするつもりなの? 別にりょうがそうするつもりなら止めはしないけど、そんなに簡単なモノじゃないぞ。」
と、獣王の兄貴。
続け様に、とんがり君。
「もしパチスロ生活をやるのなら、負けたら死ぬくらいでやれよ。」
そしてさらに・・・
「ホールに居る時は自分が一番上手いと思え。 パチスロを打っている人の中で、その収支だけで生活できるレベルに達する人は5%も居ないんだからな。」
・・・との言葉。
温かい歓迎的な言葉を貰えると思っていた僕は、この二人の反応と言葉を聞いて、身の引き締まる思いでした。
恐らく、浮かれポンチ気味だった僕を見て、敢えて厳しい雰囲気で接してくれたんだと思います。
とんがり君の「自分が一番上手いと思え」という言葉は、自分が一番上手いと思える実力を身に付けろってことと同義だと解釈しています。
この二人とのやり取りは、今でも僕の中で大切なモノとして残っていますし、まだまだパチスロに関して甘々な当時の自分にとって、今後、精一杯パチスロライターを目指して精進していこうと決意させて貰えるモノでした。
■第六章 : パチスロライターへの道
さて、ここからいよいよ本格的にパチスロのみでの生活がスタート。
師匠たちの言葉を胸に、とりあえず今までやらなかった様なパチスロで勝つ為の努力を最大限やってみようと思い立ちました。
その一つがデータ採り。
今でこそ便利なサイトもあったりしますが、この当時は、知らなかっただけかもしれませんが、パソコンでササッと一週間分のデータを見たりは出来ず、その日一日だけのデータが携帯で見られるといったモノしかありませんでした。
基本的にジグマスタイルでしたが、他のホールにも意識的に足を向けたりし始めたのも、この頃が始めです。
そこで見つけて通えそうなホールのデータ採りを開始。
この頃にメイン機種としていた、ハナハナ(スイカver)全80台くらいのデータを、毎日夜な夜なルーズリーフに総回転数・BIG・REG・スランプグラフをメモっていきました。
かなりシンドイ作業でしたし、最終的には一冊の本が出来上がりましたが(笑)、努力の甲斐があってか、狙い台を絞って立ち回るという術をこの時に身に付けることができたと思います。
その後、初代北斗の拳が登場。
この頃には、「パチスロライターを目指す為には人と違うことが出来なきゃダメだ」ということで、登場直後は大多数のスロ専業が敬遠していた初代北斗を、この台は喰えると宣言し、敢えてメインにして一カ月打ち続けて結果を出したりもしました。
そんな孤軍奮闘を続け、数年経ったある日、友人から「パチスロライターになれるって大会を開催する雑誌があって、募集が掛かっているよ」との話が。
ふむふむ、それなんぞ!?と雑誌を開いてみたら、「優勝賞金○○円、優勝者にはライターになる権利を与える」との文字が。
大会要項を見てみると、綺麗にカチ盛れるか選手権、一番にボーナスを引けるのは選手権、等々、パチスロの立ち回り的な実力が殆ど関係ない種目が並んでいるモノでした。
これ殆ど運だなと思いましたが、とりあえずモノは試しだと応募してみることに。
その数か月後、まだ募集を掛けていることに痺れを切らし、編集部へ電話を掛けてみました。
すると、まだ応募者数が募集人数に達していないから開催できないとのこと。
更に数か月後、まだ募集が続いていたので、またまた編集部へ電話。
すると、応募者数が一向に増えないとのこと。
ここで僕は意を決して、「あの、ワタクシ大会自体、特に賞金にはそれほど興味がありませんでして、ライターになれるというところに惹かれて応募したんですが」と伝えると、「分かりました、それではお伝えしておきます」との返答が。
ん、誰にどう伝えるんだ?とハテナが浮かびましたが、その時はこんなやりとりで電話を終了。
そして更に数か月後、携帯に編集部から電話が。
「もしもし、ライターをやりたいと伺ったんですが、一度面接させて貰えませんか?」
!!!!!
なにこの展開!?
「勿論、伺わせて頂きます」と返答し、後日面接を受けた結果、ライターとしてのお仕事をさせて貰えることとなりました。
ちなみに、その謎な大会は、開催されることなくヒッソリと消滅しました。
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