投稿日 |
2014/4/26 |
投稿者 |
ナラ シカオ さん |
年代 |
40代 |
性別 |
男性 |
職業/立場 |
サラリーマン |
パチスロレベル |
上級者 |
どうも。
2度に渡る掲載に浮かれている、42歳の転勤族サラリーマン。
ナラ シカオです。
大学入学を機に実家の福岡から、大阪で一人暮らし。
大学1年の春に行った「シェーキーズ」で、生まれて初めてピザを食べた田舎者です。
先日、ハイスクールオブザデッドで、爆音と共に青い図柄が揃ったのに400枚で終わりました。
パチスロっておもしろいですよね。
夢から覚めるためにホールを徘徊していて、つくづく思ったのです。
「パチンコ屋って、健全になったなあ」って。
ここ数年にパチンコ屋に通い始めた若人には想像もつかないでしょうけど、今のパチンコ屋さんって、
台間には機種説明書が常備してあって、
老若男女がくつろげる広い休憩スペースがあって、
台確保にケータイやキーケースなど貴重品を使うお客さんがいっぱいいる、
遊技場じゃないですか。
四半世紀前のパチンコ屋さんときたら、
小冊子、説明書なんて便利なモノは無く、
休憩スペースなんてそもそも存在しない、
台確保に使った車のキーが消える=車も消える、
賭博場でした。
今日も24年前のパチンコ屋店員時代を振り返り、昭和のパチンコ・ダークサイドへご招待します。
テーマは「ライター4個の男」です。
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前回、昔のスロットコーナーで実施されていたサービス・・・朝イチ、一部の台にビッグフラグが仕込まれている「モーニング」と、ライターで朝イチ台を1〜3台を確保してしまう「常連のメリット」についてお話ししました。
このサイトを利用されている皆さんには、「初期投資を抑える」ことが、いかに勝負の行方を左右するか、骨身に沁みていると思います。
「初期投資を抑える」どころか、毎朝「プラス数百枚〜千枚以上」からスタートできる・・・こんな無法が大阪のド真ん中でまかり通っていました。
当時の無垢な私は、それが当たり前だと思っていましたが、振り返ってみると、店にもメリットがあったのかも知れません。
朝から晩まで大勢の人が行き交う梅田の繁華街。
当時のパチンコ屋さんは、今と違ってガラス張りで外から店内が丸見え。
店にとって大事なのは、「出している客が何人もいる」ことをアピールすることだったと思います。
「今朝は来たけど明日は来ないかも知れない」「出ても粘ってくれるか分からない」一見客よりも、「毎朝来てくれる」「夜まできっちり粘る」常連客を、店が優遇していたことは、不思議なことではありません。
朝イチ、モーニング台を複数ゲットするため、「台確保は1人1台」ルールを露骨に無視する常連客ですが、どんなに店と仲が良かろうと、キャリアが長かろうと、「ライターは3個まで」という暗黙のルールがありました。
そんな常連客のなか、たった1人だけ、4個のライターを置く男がいたのです。
歳は50代後半。
小柄でゆるいパンチパーマ。
いつもニコニコして開店前のガラス扉の先頭に居る、日に焼けたオジサン。
ねじり鉢巻きが似合いそうなオジサンに、私たちは「漁師」というあだ名をつけていました。
たまに缶コーヒーなどおごってくれる、気のいい漁師さん。
漁師さんは、優遇された常連客の中でも特に「異質」でした。
果たして漁師さんを「常連客」「プロ」と呼んでいいものかどうか・・・。
皆さんの中にも、よく通う「マイホール」をお持ちの方が多いと思います。
通っていると、頻繁に目にする常連客って、なんとなく覚えてしまいますよね?
マイホールで、毎日3〜4000枚積んでいる客がいたら、どう思います?
毎日です。
さらにその客が、毎日同じ台を打っていたとしたら?
不審に思いますよね(笑)?
それが漁師さんでした。
他の常連客は、一般のお客さんより多くモーニングを獲得したあとは、経験をもとに高設定台を探して立ち回るのですが、漁師さんの勝負台は、「毎日」同じ台でした。
シマ真ん中の、柱に寄り添った居心地の良い台が指定席。
そこで「ほぼ毎日」3〜4000枚出して帰るのです。
前々回で書いたように、その店ではビックボーナス終了後に、千円分のコインを買わないと続行できない、というハウスルールがありましたし、7枚交換でしたから、毎日5万、6万勝ち・・・ではないにせよ、漁師さんが手ぶらで帰った記憶はありません。
負けるのは月に1〜2回だったと思います。
当時のパチスロ台には、目押し次第でビック獲得枚数が400枚→600枚なんて台がありましたが、それでも驚異的な勝率でした。
間違いなくその台だけは、夢の「高設定放置台!」
そんな漁師さんの挙動に対して、遂にクレームが・・・
来ませんでした。
ホント、なんででしょうね(笑)?
漁師さんは、どんなに調子良く出ようと、4000枚くらい出たら、自分の台にライターを置いて帰ってしまいます。
決して「閉店まで粘って万枚!」みたいなことはしません。
漁師さんが帰ったあと、置かれたライターを私たちは撤去しませんし、もちろん誰も打ちません。
一体、漁師さんとは何者だったのか・・・
今でもわかりません(笑)。
◎出玉をアピールする店のサクラ?
それにしてはあまりに露骨ですし・・・
◎ダークサイド関係者
店が客と揉めても何もしなかったし・・・
ただ、優遇された常連客の中でも、ワンランク上の「店に飼われた」存在だったことは間違いありません。
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ある日の出来事です。
その日、私はパチンコを担当していました。
パチンコ担当は、楽です。
当時のパチンコ屋では、ドル箱の上げ下ろしは基本的に客が自分でやることだったからです。
店員が出玉をジェットカウンターに運ぶ、なんて事もしません。
客が自分で運んで、計測して、レシートを景品カウンターに持参していました。
夕方4時ごろ。
暇な私は、何となくパチスロのジェットカウンターに目をやると、野球帽をかぶった見慣れない男性が、3000枚位のコインを流していました。
野球帽の男性は、発行されたレシートを手に景品カウンターに。
私はその後ろ姿をぼんやり眺めていました。
『初めて見た客だけど、いっぱい出てたな・・・』
『珍しいな・・・一見の客があんなに出すのって』
『まだ4時なのに・・・』
『・・・何番台だろう?あんなに出したの』
『・・・って言うか、おかしいぞ!』
当時の設置台はAタイプ。
現在のAT機みたいに低設定が爆発する、なんて事はめったになく、高設定台は常連客が押さえることが多かったのです。
私はパチスロコーナーに走りました。
案の定、漁師さんの台に本人の姿はなく、下皿にコインがあるだけでドル箱がありません。
盤面には「休憩札」。
パチスロを担当していたのは、2日前に入ったアルバイト学生。
「この台に座ってたオジサン、いつ休憩行った?」
「いや・・・10分位前・・・だと思います」
「ドル箱、使ってた?」
「・・・たぶん」
「ドル箱、誰が持って行った?」
「・・・」
2シマを1人で担当するので、把握してないのも無理ないといえば無理ないのですが。
私は慌てて景品交換所へ。
しかし、野球帽の男は、影も形もありません。
社員さんに事情を説明していると、漁師さんが帰ってきました。
普段は温厚な漁師さん。
あんなに怒り狂った漁師さんは初めて見ました。
「おまえ、どこ見とったんじゃー!」
担当していたアルバイト学生につかみかからんばかりの剣幕です。
皆さん、この後、どうなったと思います?
漁師さんはアルバイト学生にひとしきり文句を言ったあと、店に補償を求めるでもなく、あっさりと帰ってしまいました。
私は社員さんに聞きました。
「漁師さん、もう帰ったんですか?」
「ん? 帰ったな」
「出玉返せ、とか言わなかったんですか?」
「ん? 言わんよ」
「休憩札、置いてあったんですよね?」
「ん? ・・・だから?」
「・・・いや・・・もういいです」
明るく楽しく健全なパチンコ屋さん。
一昔前にはこんな事がありました。
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今回、「ハバタケ」さんの「ギャンブル〜」とちょっとネタがカブってますね(汗)
すみません・・・。
「次回予告!パチスロ昔話!店員さん事情」
お楽しみに(笑)!
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