【第一の手記】
恥の多い生涯を送ってきました。
自分には、勝ち組スロッターとしての立ち回りというものが、見当つかないのです。
自分は昔から人混みが嫌いで、余程の事がない限りは、いつ潰れてもおかしくはない偏屈なホールへ通っていました。
時折、強い旧イベント日等には、大きいホールへわざわざ並んだりすることもありますが、そんなことをしたところで勝ったことなど、片手で数えられるほどしかないのであります。
多くの時間、スロットと向き合っておりますが、スロットはそういった無理を楽しむゲームであると思っていました。
設定6だとか、毎日別積みしている店だとか、そんなものは都市伝説。または幻。
自分の地域性も関係しているかもしれませんが、そう自分に言い聞かせていました。
しかしながら私も、毎日負けていたらいずれは破産し、死んでしまいます。
色々と調べてはゾーン狙い等を実践したことも沢山あります。
しかしなかなか身にはならず、其だけだと楽しくはなかったのです。
つまり自分には、立ち回りというものが何かすらわかっていない、となりそうです。
本当に勝ちたいのならば自らを律し、期待値がある台だけを狙えばいい。
打てる台が無ければひたすら待てばいい。
情報が少なそうな人を見繕ってその人の後ろに何時間も張り付けばいい。
しかしそれが私には出来なかったのです。
それは少なくとも私には楽しくなかったのです。
打ちたいのに打てない。
しかし打つと負ける。
そして財布の中、銀行の口座がどんどん減っていくのを見て、発狂しかけた事もあります。
勝ちたいけれども、せっかく遊びに来たのにつまらなかったら意味がない。
だけれども負けたくはない。
こんな我が儘な自分に嫌気がさし、まったくどうしていいのかわからないのです。
そこで考え出した答えが『道化』です。
それは、自分の、スロットに対する最後の求愛でした。
自分はスロットを恐れていながら、それでいて、スロットを思いきれなかったらしいのです。
そうして自分は、この道化の一線でわずかにスロットにつながる事が出来たのでした。
おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流しての稼働でした。
某月某日。
どうせ負けるのなら少しでも面白い台に座ろう。
そう決めて私はホールに足を踏み入れました。
低設定でも爆発して、尚且つ、面白い台。
GODはやめようか。
通常時が暇だから、これで負けたらいよいよ救いがない。
低設定でも爆発して、尚且つ、面白い台。
ああ、そうか。
オリンピアの台だ。
それなら自分にも心当たりがある。
面白く、出玉性能も高く、打っていて飽きない台。
『キャッツアイ〜コレクション奪還作戦〜』
これしかないだろう。
いや、これしかなかったのだ。
本当は戦国乙女2をまだ打っていなかったので、触ってみたかったのだが、1台も空いていなかった。
この地域はどうやら乙女ファンが人知れず多く生活をしているらしい。
実のところ、このキャッツアイという台はあまり打ち込んではいない。
詳しい数値等はまったく知らないが、出た当時から理由はなくつい座ってしまうことがよくあったのです。
早い当たりを祈り、毒にも薬にもならない通常時の演出を眺めていました。
ひさしぶりに打つこのキャッツアイという台は、特に思い出らしい思い出を自分に与えてくれていなかったのだな。
そう思うと、別段感慨深くもない。
こうなってくると何故この台に座ったのか、いよいよわからなくなってきてしまいました。
そして時間だけが過ぎ、嗚呼、どうして私はいつもこのようなことになってしまうのだろうか。
おそらく宵越しの天井であろう。
チャンスゾーンにも三度ほど突入したのだが、自分にはクリアできるほどの力量がなかったのでした。
投資は約1200枚程。
単発だと自分はいよいよおかしくなってしまう。
もうおかしくなってしまっても構わない。
そう、この時の自分にはもう、おかしくなる準備が出来ていたのでした。
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