[1]パチスロ昔話〜Turn over編〜 [ 2020/9/29 ] |
私のマイパーラーは某地域密着型店2店舗
某大型チェーン店1店舗
パチスロ全店舗5.6枚交換
皆様、毎度ありがとうございます、ビタでございます。
自分で言うのも何ですが、私はメリハリ派だと自負しています。
ヤるトキはヤる!
ヌくトキはヌく!
タイプです。
えっ!
「字面ダケみると同義に見える。」ですって?
「ヤったらヌけるだろ!」って。
えぇっ?
そうなんですか!?
私にはナニをヤったらナニがヌけるのかがさっぱり ┐((・д・))┌
只、例を挙げると私の場合、近頃は歳のせいなのかナニをヤってもナニもヌけないのです。
ってナニを言わせるんですかっ!!
(ちなみに、私はまだまだ現役バリバリです)
歳のせいなのは、長時間スロットを打つのが少々ツラくなってきたコトです。
ですので、短時間でガッツリ出してスパッとヤメたい。
ヤるトキはヤる!
ヌくトキはヌく!
なのです。
あっ、でも『連打!』に参加した折にはガンバリます P(`ω´)グッ
軍資金が尽きない限り……ですが。
ガッツリ出すと言ってもウン千枚とかではありません。
一日千枚も出せれば十分。
2千枚とか出た日にゃ、缶チューハイとハイボールが盛大な宴を始めます。
そういう意味では、1Gあたりの純増枚数が緩和された6号機への移行は個人的にはGOOD。
なのですが、私が好きなのは出目で楽しめるスロット。
出目で楽しめるとなると、必然的にノーマルタイプが多くなります。
でも現行6号機のノーマルタイプだと、短時間でガッツリ出すのは正直厳しいですよね。
ノーマルタイプ好きと言っても、私は出目“至高派”ではありません。
出目“重視派”です。
若かりし頃は私も出目“至高派”でした。
「ココをヴィタ押しして何コマスベらして、なんちゃらかんちゃら〜」みたいな。
でも、今やヴィタ押し力はかなり低下。
しかも、毎Gヴィタ押しをするのはムリなのです。
あっ!
でも、最初に押すリールはヴィタじゃなくても毎Gドコかしら狙わないとなんだか不安なんです。
それが、例え目押しが不要な機種とかでもです(例:ミリオンゴッド等 打ちませんケド)。
オールドスロッターの性なんでしょうかねぇ〜。
で、思ったのです。
「ノーマルタイプで短時間でガッツリ出すとなれば大量獲得タイプ。」
「『大花火』や『花火百景』は良く打ったなぁ〜。」
「特に『花火百景』は自身のハンドルネームの由来にもなった程好きな機種。」
「4号機の初代『HANABI』も今と比べれば大量獲得機と言えなくもない。」
「初代の『HANABI』も良く打ったなぁ〜。」
「新規オープンの店でガチに立ち回ってたコトも……」(おヒマなら私の第4回目の日記をご参照下さい)
「で、その店がアカンくなったから『HANABI』の良さげな店探したっけ。」
「遠いトコロやったらミナミ(大阪の繁華街)まで行ったな。」
「???」
「ミナミで『HANABI』!!」
この瞬間、昔の出来事を思い出しました。
そこで今回は久々の昔話。
またしても、一つ思い出せば次々と思い出しました。
よって、少々長くなりますがイッキに放出します。
その昔、私が触った○○○○な台のお話です。
なにぶん古い記憶ですので、何かと間違いはあるかもですが、何卒ご理解賜りたく存じます。
そして、随所に個人的見解が見られますので、「そうじゃないだろ!」と思われる方もいらっしゃるかと思います。
ソコは当時の時代背景を含め、私なりに解釈した部分もございますので、どうか悪しからずご了承下さい<m( _ _ )m>
【第1話 : 『HANABI』編】
時は、4号機の初代『HANABI』が旬を少し過ぎた頃のお話。
とその前に、まず4号機への規制改正までの流れを説明します。
説明といっても複雑なモノではありません。
3号機の射幸性が過ぎたからです。
この辺りは3号機 → 4号機に限ったコトではありませんね。
「んん!?」
「射幸性なら4号機の方が上では?」
と、思われた方も多いでしょう。
確かに、パチスロ黄金期は4号機時代だと言っても過言ではありません。
しかし、4号機の黎明期は爆裂機なんてありませんでした。
むしろ、初期の4号機のメインはノーマルAタイプ。
そのノーマルAタイプも3号機と比べると獲得枚数がUPしました。
3号機までのボーナスゲームはJACゲームが6回で終了。
4号機のJACゲームは8回で終了です。
さらに4号機では期待値方式が導入された為、BIG中の技術介入が可能に。
JACゲーム数増加と技術介入により、1回のBIGで獲得出来るメダル枚数もUPしました。
と、こう書くと、やはり射幸性は4号機の方が上では?と思われるでしょう。
そうなんです。
3号機 → 4号機への移行は規制よりは緩和色の方が強かったんですね。
では、ナゼ3号機は規制されたか。
その理由は3号機にウ●モノが蔓延していたからなのです。
射幸性が過ぎたと言うより、完全にヤンチャが過ぎていたのですね。
その証拠にスケープゴートにされたメーカーも存在しました。
※注) 原則、ウ●モノとメーカーは一切関係ありません
奇しくも業界はクリーンなイメージを推進していた時期。
そんな中、非合法なウ●モノがパーラーを席巻しているとなれば、業界のイメージダウンは必至。
しかし、非合法とは言え民意はウ●モノを求めています。
いくらクリーンとは言え、ノーマル(非ウ●モノ)が市民権を得る事は出来ないでしょう。
「ならば、非合法を合法にすればいいんじゃね?」
と、こんな単純でかる〜いノリではありませんが、4号機への規制へ至ったのです。
代表的なのがボーナスのストックですね(3号機までは貯金モノと呼ばれ違法)。
後に、「なんでもアリだった時代」と謳われた4号機時代の幕開けです。
とは言え、4号機へ規制改正が行われたものの、ウ●モノの需要はそれなりにありました。
それもそのハズ。
初の合法貯金モノ(ストック機)である初代『ブラックジャック』でもウ●モノと比べると、その爆発力は雲泥の差。
※注)後にストック機の主流となったサイレントストック方式はもう少し後になってから登場
爆裂3号機に慣れた打ち手が求めるのは、やはりその爆発力。
必然的に4号機でも裏返る機種が登場するようになりました。
しかし、その裏返る割合は3号機の比ではありません。
3号機では多くの機種がウ●モノ化していましたが4号機ではごく一部。
どちらかと言えばその存在はレアな方でした(私の住んでいた地域ダケかもしれませんが…)。
そんなある日のコト。
当時、私は某パチスロマンガ誌を定期的に購入していました。
そのパチスロマンガ内で『HANABI』にもウ●モノが存在すると言う回がありました。
当時から『HANABI』のゲーム性は秀逸。
さらにウ●モノのゲーム性まで加わるのなら打ちたくなるのは必然。
さらにさらに、マンガ内では大阪に設置されているとのコトでしたので打ちたい気持ちは強くなる一方。
が、大阪とダケ紹介されていて、詳しい地域までは紹介されていませんでした。
当時はまだインターネットは普及していませんのでしたので、設置店を調べるのは至難の業。
ですが、マンガにはその店舗の外観の描写がありました。
その外観を見てスグに分かったのです。
「アメ村(アメリカ村 = 大阪ミナミの繁華街の一地域)のN会館やん!」って。
早速向かうコトに。
次のページへ
ビタの記事一覧へ