[1]出禁物語W 〜お前、●●やないんかぁーい!〜 [ 2014/7/11 ] |
私がネグラとしているのは某地方チェーン店
パチスロ6.6枚交換
私が必ず冒頭に書く上記の文章。
すでに故人ですが、田山幸憲と言う方が某攻略誌で「パチプロ日記」と題して連載されていた、冒頭の文章を引用させて頂いた物です。
パチ&スロ歴の長い方はご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、パチンコ雑誌ライターのパイオニア的存在で、稼働日記の元祖と言っても過言では無いかと思われます。
こちらの田山氏、なんと東大出身(中退)でありながらパチプロの道に進んだという異色?の経歴を持ち、釘読みに関しては超一流なのですが、オカルトを完全に信じており、出玉が順調でも、少しハマるとヤメて飲みに行ったり、競輪に行ったりと、その日の飲み代だけ稼げれば良いと、あまりお金には執着されない方の様でした。
普段は活字のみのページなんて読みませんでしたが、当時田山氏の日記だけは大好きでした。
毎月楽しみにしていた記憶があり、『もし自分が日記を書き、人様の目にさらされる様な事があるのならば、冒頭の文章を頂戴しよう。』なんて密かに夢見ていました。
しかし、2001年7月4日、舌癌の為、他界されました。
7月4日は、田山氏が晩年愛した豊丸産業のデジパチ「ナナシー」の日であり、葬儀は7月7日(ゾロ目の日)に執り行われました。
「何を言ってんだ?コイツ!」と思われるでしょうが、そういう方がいらっしゃった事を知って頂きたく書き綴ってみました。
今こうして田山氏の文章を引用させて頂き、多くの方々に目を通して頂いている訳ですが、人生の折り返し地点に差し掛かろうとしている42歳の中年に、本当に小さな夢ですが、叶えて頂ける場を与えて下さったクランキー氏に感謝すると共に、今さらではございますが、田山氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
『新台入れ替え』による『新装開店』。
近頃では、初日からほぼ通常営業ばかりか、中には回収営業なんて店も少なく無いと思います。
しかし、私が若かりし頃の『新装開店』は、夕方6時開店の夜9時閉店、という短時間営業が主流でした。(私の住んでいた地域だけかも…)
そんな短時間営業ですので、パチンコの釘は全台ガバガバ、パチスロも全台高設定が当たり前の、まさに『お祭り』だったのです。
もちろん店にもよりますが。
そんな若かりし頃の私は、ある日、所用で初めての駅で電車を降りました。
ふと駅前のパチンコ店に目をやると、『本日、新台入れ替えの為、午後6時開店!!』の張り紙が。
その時私は、「用事を早く済ませれば間に合う。」と考え、急いで目的地に向かいました。
思いのほか早く所用が済んだ為、開店1時間程前には到着したのですが、シャッターが閉まっていて、並んでいるのは私を含め3人のみ。
「もしかしてボッタ店?」と思いましたが、時間が経つにつれどんどん人が増え、開店10分前には黒山の人だかりが。
どうやらボッタ店では無い様子にホッとしていると、2〜3人の男性が人だかりをかき分け、先頭に並んでいた人物の前に割り込んできました。
少しムッとしましたが、「トラブルはご免」と、知らん顔してました。
おそらく常連客でしょう、先頭の人物と親しそうに話しています。
詳しい内容は分かりませんでしたが、パチスロのモーニングがど〜のこ〜の話しているのが聞こえ、私もパチスロのモーニング狙いに決めました。
何せ初めての店でしたので、何の台が入れ替わっていて何処にあるのか分かりませんでしたので、彼らについて行けば良いと考えました。
通常はモーニングが仕込んである台には設定なんかは期待できませんが、今日は『新装開店』=『お祭り』につき高設定も期待できます。
いよいよ開店時間となり、シャッターがゆっくり開いてきました。
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