[2]出禁物語外伝〜ビタ攻略法発見!!〜 [ 2015/3/2 ] |
時は昭和50年代、私がまだ小学生の頃です。
当時夏休みに入ると、毎年の様に母方の実家に帰省していました。
母方の実家は九州のとある県の山中にあり、最寄りのバス停に行くにも徒歩で20分程。
そのバス停にやってくるバスも日に1〜2本でした。
さらに最寄りの駅までは、そのバスで30分程かかり、止まる電車も日に数本程度。
まさに『ど』が付く程の田舎だったのです。
しかし、目の前を流れる清流には魚が飛び跳ね、その向こうの森には昆虫を始め、様々な生物達が暮らしていました。
私は、魚釣りや虫捕りが大好きでしたので、退屈なんて事は全く無く、日が落ちるまで外で遊んでいました。
そんなある日大雨が降り、外へ出る事が出来ず、仕方なしに夏休みの宿題を外の雨をうらめしそうに眺めながらやっていました。
結局その雨は暗くなるまで降り続け、私が持って来た宿題は全て済んでしまいました。
その翌日、雨は上がり天気も回復。
私は朝食後すぐに川へ降りたのですが、昨日の雨の影響で濁りが酷く、とても魚釣りや水浴びなんかは出来る状況ではありませんでした。
しかもかなり増水していましたので、川向うの森へ虫捕りにも行けなかったのです。(橋はかなり遠くにあり、浅瀬を渡っていた為。)
その日は、庭先にたまに飛んでくる蝶や蝉を捕まえて過ごしたのですが、かなりヒマを持て余していました。
さらにその翌日、今度は夜中に雨が降ったらしく、川は昨日よりさらに激濁り&大増水。
危険なので川には近づくなとの命令が。
もぉ私は蝶や蝉では物足りませんでしたので、ヒマでヒマで仕方ありません。
そんな私の姿を見かねたのか、叔父が声をかけてくれました。
後で聞いたのですが、叔父も休日でヒマだったらしいのです(笑)
叔父 「ビタよ、ヒマならパチンコでもしに行くか?」
私は二つ返事で「うん!行く!!」と。
ここで皆様は「それはダメなんじゃ…。」と、お思いでしょう。
しかし、当時のパチンコ店では子供が走り回っているなんて事は日常茶飯事。
私も両親が買い物帰りにパチンコを打っている最中、玉を2〜3個拾っては打っていました。
それもそのはず、当時のパチンコは現在と違い、100円玉数枚あれば充分遊ぶ事ができる、まさに『遊戯場』だったからです。
(※子供が打っていても親と一緒なら黙認)
私は、叔父に誘われた事を母に伝えに行きました。
てっきり「アカン!!!」と怒られると思っていましたが、意外にも「いいよ!」と。
母もションボリしている私の姿を見かねていたのでしょう。
しかも「これで遊んどいで」と、100円玉を2枚私に渡してくれました。
私は「えっ!いいの!?」と受け取り、叔父の車に乗り込みました。
3〜40分走った頃でしょうか、いよいよパチンコ店に到着。
私は、母からもらった100円玉2枚を握りしめ、店に入りました。
その店は田舎ならではの小規模店で、設置台数も4〜50台。
他に娯楽が少ないのか、客付きも良好で8割程。
設置機種も『手打ち式』の台オンリーです。
と、ここで『手打ち式』を御存じで無い方の為に少し説明を。
出玉を増やすのは、チューリップの開閉がメイン。
閉じたチューリップに入賞すると15個の払い出しがあり、チューリップが開放。
入賞率が大幅にアップし、再度入賞するとチューリップは閉じます。(15個の払い出し)
さらに当時流行していたのが、2連チューリップなるもの。
天穴に入賞すると、15個の払い出し&下部の2連チューリップが開放。
以下の手順を成功させる事により、当時最大の一撃を得る事ができ、最もハラハラする時です。
1.下のチューリップに先に入賞させる。
2.上のチューリップに入賞させる。
3.下のチューリップが再度開放。
お分り頂けたでしょうか?
失敗例は、先に2.に入賞してしまう事。
そうなると、同時に下のチューリップも閉じてしまいます。
最大の一撃と言っても純増56個ですが、そのシンプルすぎるゲーム性に一喜一憂してたものです。
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