読者ライター【ビタ】の記事14
私がネグラとしているのは某地方チェーン店 パチスロ6枚交換 皆様、毎度ありがとうございます、ビタでございます。 「ケツ叩かせろ、ケツをー!!!」 〜今時女子のリアルスロット事情【第7回】より〜 いやぁ〜、ヤラレタ!! これって名言ですよね!?(←と、思ってるのは私ダケ?) しかし、うら若きMs.まつげの様なお嬢さんが言えばこそ微笑ましいのであって、私の様なおっさんが同じ事を言えばどうなる事でしょう? 間違い無く、迷惑行為防止条例に引っ掛るかどうかの議論が交わされ、中には「セクハラだ!!」との声もある事かと思います。 し・か・し……。 私達おっさんスロッターも叩きたい時だってあるのです。 叫びたい時だってあるのです。 日々のストレスを発散したい時だってあるのです。 そんなおっさんスロッターを(勝手に)代表して言わせて頂きます。 「ケツ叩かせろ、ケツをー!!!」(←一緒にすんなってツッコミは無しの方向で…) そんな訳で打ってきました『シンデレラブレイド2』(笑) ちなみに初打ち。 てか、初代も打った事ありません。 台に関する知識も、Ms.まつげの記事とこちらのサイトの情報のみ。 「さて、叩きまくりますか!!」と、打ち始めます。 初当たりは3周期(トータル9周期)目、レベル8での勝利。 思っていたより早い当たりに一安心し、いよいよ『ケツ叩きタイム』。 これが意外にも伸びて106Gスタート。 しかも何回かバトルに発展し。 見事に勝利!! 「ここだ! ここが勝負所だ!!」 「ふっ…本気でブッ叩いてやっからよ、私のスタープラ○ナで。」(←少し前にTVアニメの『ジョジョの奇○な冒険』を見てハマッた) 「いくぜ!!!」 「オラ!オラ!オラ!オラ!オラ!オラ!オラ!オラ!オラ!オラ!オラ!オラ!オラ!オラ!オラ!オ……。」 「叩き足りんワ!!!」 ・・・それでは、出禁物語外伝〜ビタ攻略法発見!!〜スタートです。 きっかけは、遅い正月休みで大阪に遊びにきた叔父との会話でした。 私の実家に親戚一同が集まり、飲んでいた時です。 叔父 「この辺も昔と比べ、だいぶ変わったなぁ。」 私 「新しい家がかなり建ったからな。」 叔父 「近くにあんな大きいパチンコ屋も無かったしなぁ。」 私 「2年ぐらい前に出来たらしいで。」 母 「芸能人とかも来るで。」 叔父 「そうなん?」 母 「京本○樹はカッコよかった。 ボブ○ップは大きかったなぁ(笑)。」 叔父 「そう言えばビタ、お前が子供の頃、田舎(母の実家)に帰ってきた時、一緒にパチンコ屋行ったな。」 私 「へっ? そんなん行ったっけ?」 叔父 「覚えて無いんか?」 私 「うん、全然!!」 叔父 「お前が攻略法見つけた時やで?」 私 「…攻略法? …ボクが? なにそれ??」 すると叔父は、当時私が発見した(らしい)攻略法の手順を説明してくれました。 その手順を聞いた私は、全身に稲妻が走り、全てを思い出しました。 そう…… 30年以上の時を経て、封印は解かれたのです。(←大袈裟) 時は昭和50年代、私がまだ小学生の頃です。 当時夏休みに入ると、毎年の様に母方の実家に帰省していました。 母方の実家は九州のとある県の山中にあり、最寄りのバス停に行くにも徒歩で20分程。 そのバス停にやってくるバスも日に1〜2本でした。 さらに最寄りの駅までは、そのバスで30分程かかり、止まる電車も日に数本程度。 まさに『ど』が付く程の田舎だったのです。 しかし、目の前を流れる清流には魚が飛び跳ね、その向こうの森には昆虫を始め、様々な生物達が暮らしていました。 私は、魚釣りや虫捕りが大好きでしたので、退屈なんて事は全く無く、日が落ちるまで外で遊んでいました。 そんなある日大雨が降り、外へ出る事が出来ず、仕方なしに夏休みの宿題を外の雨をうらめしそうに眺めながらやっていました。 結局その雨は暗くなるまで降り続け、私が持って来た宿題は全て済んでしまいました。 その翌日、雨は上がり天気も回復。 私は朝食後すぐに川へ降りたのですが、昨日の雨の影響で濁りが酷く、とても魚釣りや水浴びなんかは出来る状況ではありませんでした。 しかもかなり増水していましたので、川向うの森へ虫捕りにも行けなかったのです。(橋はかなり遠くにあり、浅瀬を渡っていた為。) その日は、庭先にたまに飛んでくる蝶や蝉を捕まえて過ごしたのですが、かなりヒマを持て余していました。 さらにその翌日、今度は夜中に雨が降ったらしく、川は昨日よりさらに激濁り&大増水。 危険なので川には近づくなとの命令が。 もぉ私は蝶や蝉では物足りませんでしたので、ヒマでヒマで仕方ありません。 そんな私の姿を見かねたのか、叔父が声をかけてくれました。 後で聞いたのですが、叔父も休日でヒマだったらしいのです(笑) 叔父 「ビタよ、ヒマならパチンコでもしに行くか?」 私は二つ返事で「うん!行く!!」と。 ここで皆様は「それはダメなんじゃ…。」と、お思いでしょう。 しかし、当時のパチンコ店では子供が走り回っているなんて事は日常茶飯事。 私も両親が買い物帰りにパチンコを打っている最中、玉を2〜3個拾っては打っていました。 それもそのはず、当時のパチンコは現在と違い、100円玉数枚あれば充分遊ぶ事ができる、まさに『遊戯場』だったからです。 (※子供が打っていても親と一緒なら黙認) 私は、叔父に誘われた事を母に伝えに行きました。 てっきり「アカン!!!」と怒られると思っていましたが、意外にも「いいよ!」と。 母もションボリしている私の姿を見かねていたのでしょう。 しかも「これで遊んどいで」と、100円玉を2枚私に渡してくれました。 私は「えっ!いいの!?」と受け取り、叔父の車に乗り込みました。 3〜40分走った頃でしょうか、いよいよパチンコ店に到着。 私は、母からもらった100円玉2枚を握りしめ、店に入りました。 その店は田舎ならではの小規模店で、設置台数も4〜50台。 他に娯楽が少ないのか、客付きも良好で8割程。 設置機種も『手打ち式』の台オンリーです。 と、ここで『手打ち式』を御存じで無い方の為に少し説明を。 出玉を増やすのは、チューリップの開閉がメイン。 閉じたチューリップに入賞すると15個の払い出しがあり、チューリップが開放。 入賞率が大幅にアップし、再度入賞するとチューリップは閉じます。(15個の払い出し) さらに当時流行していたのが、2連チューリップなるもの。 天穴に入賞すると、15個の払い出し&下部の2連チューリップが開放。 以下の手順を成功させる事により、当時最大の一撃を得る事ができ、最もハラハラする時です。 1.下のチューリップに先に入賞させる。 2.上のチューリップに入賞させる。 3.下のチューリップが再度開放。 お分り頂けたでしょうか? 失敗例は、先に2.に入賞してしまう事。 そうなると、同時に下のチューリップも閉じてしまいます。 最大の一撃と言っても純増56個ですが、そのシンプルすぎるゲーム性に一喜一憂してたものです。 これまで私は台を選ぶ際、玉を拾った近くの台に適当に座っていました。 しかし、いくら『手打ち式』と言っても、たった200円では適当に選んだ台だと10分も持たないでしょう。 そこで私は、少しでも時間を稼ぐ為、店内をウロウロしていました。 すると目の前で、ご婦人が1箱(800個程)の出玉を持って席を立ちました。 その時の私は… 「あれっ? この台って出る台ちゃうの?」 と、すぐさま確保。 まず、100円玉1枚を玉と交換します。 私はこの100円分の玉を一発一発噛み締めながら打ったのですが、あっけなく飲まれてしまいました。 残りは100円玉1枚のみ。 しかし、「この台は出る!!」と、ナゼか根拠の無い自信があった為そのまま続行。 その台はやはり優秀台だったらしく、ジワジワと玉が増えて行き上皿いっぱいに。 ここで、天穴狙いの玉が偶然にも左サイドのチューリップに入賞。 開放したチューリップを狙う為、少し弱めに打ったのですが、弱すぎた為、玉が戻ってきました。 現在のパチンコでもよくある『返り玉』ですね。 その時、すでに次の玉を打つ準備が出来ていましたので、レールには2個の玉が。 再び打ったのですが、2個分の重さを考慮していなかった為、再度戻ってきました。 またしても、次の玉を打つ準備が出来ていましたので、レールには3個の玉が残っています。 今度は3個分の重さを考慮し打つ力を少し強めに。 無事3個の玉が固まって飛んで行きます。 それも、うまい具合に左サイドへ。 すると、その3個の内2個の玉が同時に開放しているチューリップへ入賞。 チューリップは一旦閉じたものの、再び開きました。(払い出しは2個入賞分) ここで、ビビビッとですね、ヒラメイたんですよ。 「これって、狙えるんちゃう?」と。 これまで、開いたチューリップに2個同時に玉が入る事はよくありました。 しかし、それはあくまで偶然起こる事で、狙う事は出来ないと思っていました。 そのヒラメキを確かめようと、再度3個の玉を込めて左サイドを狙ったのですが、力加減が難しく玉はバラバラに。 「やっぱり、狙うのは無理かな?」と、思った刹那。 再びヒラメキが…。 「…右側やったら?」と。 なぜなら、右サイドだと力加減は必要無く、目いっぱい打てば良いと考えたからです。 それからは、天穴狙いをヤメ右サイド狙いに。 程無くして、右サイドのチューリップに入賞し開放。 いよいよヒラメキを試す時です。 玉をレールに3個込めて、レバーを目いっぱい引いて準備完了。 手を離すと、3個の玉が勢い良く同時に飛び出していきます。 もちろん右サイドへ、です。 この時は残念ながら、1個のみの入賞でチューリップは閉じてしまいました。 しかし、次に同じ手順を繰り返すと見事に成功したのです。 そうです、これが私が発見した攻略法です。 3個の玉を固めて打つ事により、チューリップに2個同時に入る確率をUPさせたのです。 成功する限り、延々とチューリップは開いたままです。 私は打つのを止め、この方法を叔父に伝えに行きました。 少年ビタ 「おっちゃん、おっちゃん、玉が出る方法見つけたで。」 叔父 「あ〜、そうか〜。」 少年ビタ 「ホンマやって、ちょっと聞いて〜や。」 叔父 「分かった、分かった、で?」 この時の叔父は、「どうせ子供の言う事だから…」と軽く聞き流すつもりだったそうです。 しかし、私が手順を説明すると目の色を変え。 叔父 「誰に教えてもらった?」 少年ビタ 「自分で見つけてん。」 叔父 「嘘つけ〜!!」 少年ビタ 「ホンマにホンマやって!!」 叔父 「ホンマか? それ、イケるな!!」 と、叔父も右サイドを狙い始め、程無く成功したのです。 「延々とチューリップが開いたまま」というのはさすがに無理でしたが、普通に打つよりも明らかに出玉スピードが違いました。 しかも、あまり釘が良く無いであろう叔父の台でも、そこそこの出玉を得る事が出来たのです。 その日私は、1000個程の出玉を獲得。 今までは手が出なかった、ちょっと高級なお菓子(景品)を大量にGET。 叔父もチョイ勝ちで店を後にしました。 あれっ? 確か『出禁物語』のハズなのに、誰も出禁になって無いんじゃ……? と、お思いでしょう。 まだ続きがありますので、もう少々お付き合い下さい(笑)。 ここまでは、私が少年時代に実際に体験した事でしたが、話は実家で飲んでいた現代に戻ります。 叔父が後日談を話してくれました。 叔父は、私と一緒にパチンコ屋に行った以降、店に通う頻度が増えたとの事。 増えたと言っても、月に1度行くか行かないか、というのが、月に数度程度に増えただけです。 もちろん攻略法を使用していた為、連日連勝。 そんなある日、一人の男性に声を掛けられたと言うのです。 男性 「兄さん、よぅ出しとるね。」 叔父 「はぁ、まぁ。」 男性 「えぇウデしてるなぁ、いつも出しとるもんね。」 叔父 「はぁ、まぁ。」 男性 「さっきから見てたけど、面白い打ち方しよるね?」 叔父 「………。」 男性 「兄さんが考えたん?」 叔父 「いや、小学生の甥っ子が見つけた。」 男性 「!! 小学生の!?」 この時、叔父は「面倒くさいのに絡まれた、何か文句でも言われるのかな?」と、思っていたらしいのですが、男性から出た言葉は、「ワシもマネしてい〜かな?」でした。 ホッとした叔父は「かまわんよ。」と言うと、男性は「ありがとう。」と去っていきました。 それがきっかけで、叔父とその男性は店で顔を合わせれば挨拶を交わす仲に。 ある日の事、男性が叔父に話しかけてきました。 男性 「兄さん、この前の打ち方(攻略法)やけどな。」 叔父 「それが?」 男性 「もっと良い打ち方見つけたんよ。」 叔父 「もっと良い打ち方? どんな!?」 男性 「(玉が)3個だけなら、入らん時があるよね?」 叔父 「あるな。」 男性 「5個にしたらもっと入らんかと…。」 叔父 「けど、5個にしたら(玉が)右に飛んでいかんのじゃ?」 男性 「それが、(玉が右に)行く打ち方見つけたんよ。」 叔父 「えっ! どんな!?」 男性の説明を聞いた叔父は、「それなら5個(右に)打てる。」とさっそく試した所、さらに2個同時に入る確率をUPさせたのです。 叔父の話はここまででした。 ナゼかそれ以降は、聞いても「もぉこの話はえ〜やろ?」と、話そうとはしませんでした。 私も「何か話したく無い事があるのでは…」と察し、聞こうとはしませんでした。 って、オイオイ!! なんか締めに入ってません? 5個同時に打つ方法は? まだ誰も出禁になって無いぞ。 「え〜かげんにせ〜よ(怒)」て声が、ブラウザ越しにヒシヒシと伝わってきます。 そんな訳で続きを…。 なんだか静かになりそうでしたので、私が話題を変えようとした時です。 母が突然「思い出した!!」と。 私 「何を?」 母 「ワタシもそれ(攻略法)聞いて、大阪でやったわ。」 私 「ふ〜ん、そんでうまい事いったん?」 母 「いった、いった、おかげで出入り禁止になったわ。」 私 「出禁に? なんで!?」 母 「思い出したらハラ立つわ〜。 普通の打ち方してへんのと、台が壊れるからやって。」 私 「じゃぁ、普通の打ち方ってどんなん?」 母 「そんなん知らんわ、わざわざ『手打ち式』探したのに。」 この時期、パチンコは『手打ち式』から『電動ハンドル』への変換期で、大阪では多くの店が『電動ハンドル』へ変わっていたのです。 台のゲーム性はどちらもほぼ同じなのですが、技術介入の差は歴然。 『電動ハンドル』への移行で、多くの専業の方々が引退されたと聞きます。 私 「じゃあ、(台が)壊れる様な打ち方してたん?」 母 「してへんよ、聞いた通りの打ち方しただけやで。」 叔父 「3個の方? 5個の方?」 母 「5個の方や。」 叔父 「あぁ〜、大阪なら壊れるってケチつけられるかもな(笑)」 母 「そうかな?」 私&叔父 「そうちゃう?(笑)」 そうです、出禁になったのは私の実の母親。 先の会話でもあった通り、普通の打ち方をしていないのと、台が壊れるとの理由からだそうです。 『普通の打ち方』には納得できませんが、『台が壊れる』には一理あると思いました。 以下その手順です。 1.右サイドのチューリップに入賞させる。 2.レールに玉を5個込める と、ここまでは3個が5個に変わっただけで同じです。 次の3.の項目がキモとなります。 3.レバーを目いっぱい引き、下から跳ね上げる様に打つ。 まさに『手打ち式』でしか出来ない攻略法。 力加減次第では5個以上も可能で、出玉スピードはさらにUPすると思われます。 しかし、それだけで出禁になるとは私は思えませんでした。 私はその事を母に問い詰めると…。 母 「出玉没収って言ってきたからゴテたった(笑)」 この時、母はすでにりっぱな『大阪のおばちゃん』。 屁理屈を言わせれば、おそらく世界最恐でしょう。 結局は出玉を景品交換する変わりに、出禁になったそうです。 あれから30年以上経った現在、田舎のその店はすでに無いそうです。 当時景品に交換する際、誰に対しても店員は不機嫌そうな顔をしていていました。 しかし現在では、景品交換する際には「ありがとうございました。」と、満面の笑みを浮かべ手渡してくれます。 つくづく思います。 「パチンコ屋って、健全になったなぁ」って(←ホンット無理矢理ですね) 今回は「私」では無く、「母」が出禁になったお話でした。 ※※※お願い※※※ 現在では、子供がパチンコ店に入るのは禁じられています。 (当時もあまり褒められた物ではございませんが) 最近では耳にしなくなりましたが、子供を車等に放置したままパチンコに没頭し、取り返しのつかない事故にまで発展した事もあります。 こちらのサイトをご覧の皆様は、もちろんそんな事はしないでしょう。 しかし、そういった事故があった事は事実です。 万が一、そのような事を見掛けた際には、お子様をお持ちでいらっしゃる方、そうで無い方に係わらず、店員さんなりに声を掛けてやって下さい。 皆様のちょっとした一言が、取り返しのつかない事故を未然に防げる事もあるかと思います。 ※※※※※※※※※ おっと、パチンコの話が長くなりましたので、パチスロの話をもうひとネタ。 先日「これって高設定丸出し!?」て、台を発見しました。 機種は『バジリスクU〜甲賀忍法帳〜』。 私はこういう系の台は得意では無く、あまり打ちませんが確保しました。 ちなみにマイパの同系列チェーン店。(マイパではありません) 打ち始めると、巻物からの開眼チャレンジ突入率&MB確率ともにバツグンの数字を叩きだします。 しかし、初当たりまで手こずり、その後もダラダラの展開に。 「このARTが終われば帰ろうかな?」と思っていた時です。 初の『真・瞳術チャンス』をGET。 からの…。 (※事情により画像を加工しています) 8個ストック!! 閉店10分前じゃ無ければ……(涙) 最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。 ビタの記事一覧へ 読者ライターの最新更新一覧へ
特許取得により「換金」が可能となっている、オンラインスロットゲームサイト「ディーチェ」。 現在新台リリースイベントで大盛況! 前作に比べてボーナス確率はなんと【250%超】! オール役からのボーナス解除や高確モードからの連チャンは圧倒的破壊力で一気に大爆発の可能性アリ!
DXでは本格パチスロ系ゲームで稼いだポイントを電子マネーや豪華景品に交換ができます。 20種類以上のゲームで飽きずにポイントが貯められ、デイリーくじやロト、 EXP(経験値)ランキングなどで長く遊べば遊ぶほどに稼げるチャンスが増大! 今なら1,500円分無料Ptで[楽天Edy]●万円分が即日手に入る! ページ最上部へ戻る 「パチスロ立ち回り講座」トップへ戻る |