[2]稼働を彩るもの [2017/7/14(金)] |
私は1,400回転でBIG6・REG7のファンキージャグラーに着席します。
真後ろには先程のバジUがあり、お兄さんの挙動を確認しながら打つにもちょうど良い場所です。
ポチポチポチ……
ポチポチポチ……
ポチポチポチ……
ネジネジネジ……
私は3つ並んだボーナス絵柄に気付くと、第三停止のボタンを押し込みます。
その愉悦の時間を楽しんで……
それから、そっと手を離すとGOGOランプがペカります。
どうしてGOGOランプはかくも神々しく輝くのでしょう。
GOGOランプを光らせて、ボーナスを揃える。
そしてコインを手に入れ、お金を増やす。
これが最終目的であり、GOGOランプはその過程でしかありません。
その事は明白であるにも関わらず、時折GOGOランプをペカらす事こそが全てのように思えてくるのはいったいどうして、不思議に思えてなりません。
ペカった次ゲーム。
7を狙うと、揃ったのはBIG。
それを幾度となく繰り返すうちに陽は落ち、都会の街は夜を迎えておりました。
そして、22時。
私のファンキーは最後まで良好なボーナス確率を保ち続け、お兄さんも終日バジUを打ち切りました。
ぶどうが揃う、揃わない。
それによって変動するぶどう確率に一喜一憂し、バケが揃ったとしてもガッカリする事なく、むしろ高設定へと期待度が増す。
この日のファンキーは、いつもの「どうせ低設定」と思って打つジャグラーとは一味違いました。
「ぶどうもバケもみんな楽しいのはどうしてか?」
星の王子様は、「砂漠が美しいのはどこかに井戸を隠しているから」だと言い、ラピュタは「あの地平線が輝くのはどこかに君を隠しているから」だと歌っています。
もちろん、私が見つけたファンキーが砂漠の井戸だったかどうかは分かりません。
お兄さんが地平線のかなたで君に出会えたかどうか、私には知る術はありません。
でも、それで良いのです。
本当にそれが存在するかどうかは、もしかすると関係ないのかもしれません。
そこにあると思えるだけで世界はこんなにも変わるのだと、都会の砂漠は私に語りかけるのです。
振り返って考えてみれば、私が「魔が差した」と表現した設定狙いの稼働を始めたのも、「この店には高設定があるかもしれない」と思えた事がきっかけです。
お金を増やすのは期待値だけど、稼働を楽しく彩るのは期待感。
その期待感は、低設定でもフリーズを引けばといった類いのものではなくて、このお店であれば高設定が使われているという信頼感から生まれるのではないでしょうか?
手にした3,500枚分の景品と引き換えに渡された5枚の一万円札にそんな事を感じつつ、私は今日も7枚交換という不毛の砂漠に踏み出し井戸を探して歩くのです。
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