[3]ぱちんこやスロットを愛する全ての皆様へ! [2015/2/2(月)] |
その日に生まれて初めてスロット雑誌を買って帰って、朝まで読みました。
全然理解出来なかったけど、紙面にある様々な機械をドキドキしながら眺めてました。
いやぁ、こんな恥ずかしい昔話を書くつもりはなかったんだけど、今思い出してもなんてバカなやつだなと思います。
本気で一生遊んで暮らすつもりでしたからね!笑
まぁ、そこからの日々は大体想像つきますよね?
いやぁ、色々ありましたよ。
始めてからの2年ぐらいは、楽しいってより苦しい思い出の方が多かった気がするなぁ。
あの当時は色々な物も失ったし、周りの人に迷惑もかけました。
このままでは友人や家族にも見放され人生が狂ってしまうと、何度もスロットを止めようと思った事もあります。
けれど、その度に誘惑に負け、あの当時一番落ち着けるぱちんこ屋に吸い込まれていきました。
二日連続で万枚だした事もあれば、夏休みにバイトして稼いだ20万を三日でとかしたこともあります。
何故か上野で打ってて、帰りの常磐線で泣いたっけな。
自由に出来る時間やお金も、手を出しちゃいけないお金や時間まで、全てをぱちんこスロットに注ぎ込みました。
周りからしても、異常なのめり込みだったと思います。
親には泣いて止められ、姉には病院に連れていかれました。
けど、それでもやめられなかった。
それどころか、色々な事をわかっていくうちにどんどん好きになってきてしまった。
けど、何をやっても続かなかった花火が唯一、夢中になれたものでした。
サッカーも野球もバドミントンもギターもダンスも勉強も、全てを途中で投げ出した花火が、ある意味で真摯に真剣に向き合えたのがスロット、ぱちんこだったんです。
そんな花火が就職先に今の会社を選ぶのも、必然だったような気がします。
周りや親の大反対を押し切って、今の会社に就職しました。
親には絶縁勧告まで出されましたが、花火の意志は変わりませんでした。
そして入社した会社には、似たような人生を歩んできた一本ねじのぶっとんだ人達ばかりがいました。
スロットやぱちんこが好きで好きでしょうがない人達の集団でした。
スロットやぱちんこに詳しければ褒められ、事務所でスロット雑誌を読み、ネットで新台情報を探り、仕事終わりには市場調査や新台調査と銘打ってぱちんこ屋に通う毎日。
そして、誰よりも先に新しい台に触れ、好き放題ショールームで打ち込めました。
その熱量をホールさんに伝え、台を購入して頂くのが主な仕事です。
これは、まさに花火の天職だと思いました。
ただ、当然ながら楽しい事ばかりではありません。
機械が売れなきゃ抱き合わせや台数縛りや納品週ずらし等、心苦しい行為も数々行ってきました。
そして納品された後、誰にも触られずに去っていく機械達。
ネットを見れば凄まじい程の罵詈雑言。
スロットが好き過ぎる故に、悩みも多く、痛みも感じていました。
しかし、そんな痛みや苦しみも、仕事に慣れ業界に染まっていく内にだんだんと鈍感になっていきました。
臭いものにはふたをって感じで、自分の中に感じる違和感はずっと抑え込んでいました。
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