投稿者 |
カスミ・ローガン さん |
年代 |
50代 |
性別 |
男性 |
職業/立場 |
サラリーマン |
パチスロレベル |
上級者 |
過日遠望。
所詮は厭世のロマンチシズムに過ぎぬと断じられてしまへば、或いはそうなのやもしれぬ。
しかしこのロマンチシズムの所以は時流の移ろひの大なることの感取であることに相違はなかろう。
然は言へ、新たなる機械の図面を引いておる者どもの叡智の高きに在ることには感嘆せずにはおられぬ。
これは儂の真の思いである。
而して見よ。
新たに生まれ出づる六號機は幾つかの法度の改めによつて決して嘆ずるべきものではなくなつてきておろう。
然は言へ、儂は六號機を打とうと思いはせぬ。
浪漫は失はれた。
残されたは絶対のみ。
然れど浪漫とはそも何ぞと問はれれば儂も些か解説に苦しむ。
さらには博打を打つ者によつてその浪漫は違つたものになつてこよう。
儂が博打に求めるものは、博打の恍惚である。
然れば言はん。
失はれた浪漫とは博打の恍惚である。
儂が博打に求めるものは金なぞではなく、勝ち負けでもない。
儂にもかつて勝ちつぱなしの時分があつた。
十回に七回は勝つ。
それが半年も続いた頃、飽いた。
そのやうな勝負の行く末に浪漫はなく、在つたのは世のサイエンチストどもの追い求めるやうな絶対である数と算術と観察。
レバアを叩く事無くして浪漫は生まれてこぬ。
しかし幾つもの絶対がレバアを叩く事を許さぬ。
而して勝負に負ける事はなくなる。
而して、そこに浪漫の入り込む余地はなかつた。
先に言うたはずよ。
儂は泥にまみれたただの博打打ちに過ぎぬ。
然れば泥だらけの博打打ちの求める浪漫とは何ぞ。
言うてみれば、痴れた皮算用よ。
もちろん彼のサイエンチストも皮算用はしておろう。
それは正しく理の範疇に収まつておる。
然れば痴れた皮算用とは何ぞ。
大の大人が幼児の夢見る如く己もきつと空を飛べる筈と考へるやうな理外で阿呆の皮算用よ。
レバアを叩く。
リイルを止める。
チエリイが並ぶ。
スイカが外れる。
その刹那。
刹那に広がる宇宙の如き夢。
阿保の極みよ。
然れどその刹那に宇宙の如き夢を見るが叶ふのが、彼の五號機であつた。
夢の睦月も過ぎにけり。
さう言ふ儂は五號機を打ちに行く事もなく睦月の晦日を過ごし、時流の移ろひを思ひつつ如月の朔日を迎へた。
者どもよ、叩くレバアは夢を描いておるか。
止めるリイルは恍惚に導いておるか。
それが叶うておるなれば、それで良かろう。
所詮は爺の浪漫よ。
老兵は、ただ去りゆくのみ。
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