投稿日 |
2020/11/3 |
投稿者 |
カスミ・ローガン さん |
年代 |
50代 |
性別 |
男性 |
職業/立場 |
サラリーマン |
パチスロレベル |
中級者 |
百獣掌中。
左様、如何な猛り嘯く百獣供も所詮は御釈迦様の掌を這いずり回つておるに過ぎぬ。
過日、ワシは同胞に語つたのよ。
これもまた過日、お主に語つたであろう、アレツクスにてコイン三百枚を投じる事によつて桃源郷への道が開けるとな。
同じ事を同胞に語つた所、彼の同胞は言ふではないか。
左様な事をしでかしては徒に店に得をさせるだけであるとな。
なるほど店は得をする事になろう。
彼の同胞はコインの鐚一枚さへも店に得をさせるのを厭うておると見える。
彼は言ふ。
博徒たる者、店々の癖を知り抜き良き機械の在り処を見抜き、その機械を一ゲエムでも余計に遊戯しコイン一枚でも余計に吐き出させ我がものとすべし。
ぱちんこ屋の店主なんぞは悪辣な性根を以て罪無き民草から金を毟り取つておるの由、左様な店主に鐚一枚でも得をさせては寝覚めが悪い云々。
然あらば。
思うてみよ。
世に言ふサクラなる者があろう。多くは店主に雇われておる。
何故店主はわざわざサクラなぞと言ふ者を雇ふのか。
わかりきつた事。
サクラに良き機械を遊戯させ、コインを何千枚と吐き出させ、それを他の客に見せ付けるのがその目的であろう。
而してこの店は良き店であると客がこぞりて押し寄せる。
左様、一人の客が勝とうが負けようが些末な事であり、客が来る事こそが店にとつての得となるのよ。
鐚一枚さへも儲けさせたくない、そう思ふのであらば、そもそも彼はぱちんこ屋に行く事をやめたが良い。
彼が何千枚何万枚と儲けた所で、店に行つた時点で店の儲けになつておるのだ。
そうであろう。
良き機械を見つけ出し博打に勝つ。
それは紛ふ事なく博打打ちの骨頂ではあろう。
だがな、博打打ちの技量ひとつで悪しき機械が良き機械に変わる道理はない。
それは初めから良き機械としてそこに在るのだ。
何故か。
店主がどうぞ遊戯してくだされと用意しておいた物に過ぎぬではないか。
その機械を遊戯する客が勝つ事は、初めから織り込み済みである。それどころか、その良き機械を遊戯する事こそ店主の望む所であろう。
良き機械を打つたのではない。
打たされたのよ。
店が儲かる事が怪しからぬと言ふのであらば、そもそも店に行かぬが良かろうて。
店に行つた時点で店は得をしておるのだ。
それでも博打を打つとあらば、お主の家の周りにもあろう、全く客の寄り付かぬ、居ても近郷の爺や婆が暇潰しに来る程度の店よ、そのやうな店なれば、どうよ、儲かつてはおらぬであろう。
店が儲けるのは怪しからぬとあらば、そのやうな儲かつておらぬ店に行つては如何か。
爺や婆しか居らぬ店に行くのは以ての外と申すなれば、どのやうな店が良いと申すか。
そうよ、客がこぞりて押し寄せる儲かつておる店が良いのであろう。
何千枚何万枚と博打に勝つて勝鬨を上げた所で、店主にとつては既に算の内の出来事に過ぎぬ。
悍馬が如何に嘶いたとて、所詮は埒内で猛つておるに過ぎぬのじや。
勝つた所で算の内。
負ければやはり算の内。
算の外に在つてこそ、孤高の博徒である。
店主の算の外に在るとは、どのやうな在り方であろうか。
よもや三百枚を投じてでもバアを中段に止めたいと考へる酔狂な客が居るとは、店主もさうさう思ひ寄らぬであろうて。
さればワシは、今日も出鱈目に左リイルを止めるものぞ。
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