投稿日 |
2020/8/24 |
投稿者 |
カスミ・ローガン さん |
年代 |
50代 |
性別 |
男性 |
職業/立場 |
サラリーマン |
パチスロレベル |
中級者 |
月下求道。
否、ほんとを申せば月は出ておらなんだ。
兎も角、ある晩ワシは決心に至つた。
しかしその決断に至るまで、葛藤というものに随分と苛まれもした。
矜恃やテエゼといつたものが、ワシにもある。
いや、あつた、と言うべきかもしれぬがな。
而してそこに生まれた葛藤とは、そのテエゼとアンチテエゼの鬩ぎ合いという事になろう。
真にその手段が正当なのであろうか。
己の抱く矜恃とテエゼ。
それに反する行いに、まずワシが覚えたのは罪悪感よ。
いや、罪悪感と言うより背徳感と言うべきかもしれぬ。
徳に背く行為、という事になろう。
しかし世人は、時として背徳の行為に及ぶではないか。
何故、人は徳に背くのか。
決まつておろう。
徳に背を向けたその時、反対側を向いた己の目の前には、そう、得も言われぬ甘美な世界が広がつているからに他ならぬ。
ワシという人間はな、単なる博徒、ただの博打打ちに過ぎぬ。
ビジネススロッタアなぞではない。
ワシの如き泥にまみれた博打打ちが追い求める物は、金なぞではない。
勝ちや負けでもない。
言うてみれば、
博打の恍惚。
もう何年も前のことよ。
世にエイアアルテイ機が出始めた頃さな。
エイアアルテイに移行すると、画面に押し順の指示が出よう。
ワシはその指示を無視して釦を押した。
何故だと思う。
押し順役の取りこぼし目を見たかつた。
それだけだ。
ただそれだけの為に八枚ほどのコインを無駄にしたのだ。
だがな、それによつてワシはその機械の押し順役の取りこぼし目を見ることが出来たのだ。
ワシに於いてはコイン八枚以上の価値のある事であつたのよ。
尤も、そこに価値を見出すかどうかは人それぞれであろうがな。
ワシは決心した。
チエリイなんぞは取りこぼしてくれようぞ。
ビイマツクスもクランキイコレクシヨンも無き今、ワシにはアレツクスしか無かろうて。
左リイル枠下に赤七をビタリと押す。
下段にバアをビタリと押す。
下段に十一番の鳥をビタリと押す。
下段に十六番の鳥をビタリと押す。
これだけでも左リイルをかなり広範囲に使えるものぞ。
何故赤七を枠下かと言うと、出来る限りバアの近くまで滑らせたいという故に他ならぬ。
無念ではあるが、老いたワシの眼では一番のチエリイは見えぬ故、チエリイを下段にビタリと押すことは叶わぬのだ。
しかし斯様な打ち方をしておると、どうしてもバアを上段や中段に止めることもまた叶わぬ。
されど、このバアの前後の図柄の配列の魅惑と言うたら他と比べものにならぬではないか。
もうチエリイを取りこぼすより他はない。
一番のチエリイが見えぬとあらば、そうするしかなかろうて。
否。
毒を喰らはば皿までと申すではないか。
ビイマツクスのように左リイルは一切を狙わず出鱈目に押してくれよう。
チエリイが成立する確率は二十分の一。
払い出しは六枚。
ひとつのチエリイに対し、左リイル上にチエリイを入賞させられる箇所は七箇所ある。
チエリイがふたつあるのだから、合わせて十四箇所という事になろう。
逆に取りこぼす箇所は七箇所。
左リイルの全二十一箇所の内の七箇所になる。
故に出鱈目に押した場合、取りこぼす確率は三分の一になる。
アレツクスを打ちに行くと、ワシはたいてい三千ゲエムほど回して帰つてくる。
チエリイが百五十回成立する。
その内五十回を取りこぼす計算になる。
するとどうなるか。
三千ゲエムでコイン三百枚の損失。
身の毛もよだつ、途方もない数字ではないか。
しかしここに、葛藤が生まれたのだ。
是か、或いは非か。
役を須く入賞させる事が是であるのか。
なればこの是を行う事が徳とされる。
而して役を取りこぼす事は非であるのか。
其は非と思しかり、と思わされているに過ぎぬのやもしれぬと、思うた事はないか。
真にそうであるのか。
何故、是とされ非とされているのか。
翻つて見るに、ワシにとつての是とは、そも何ぞ。
泥にまみれた博打打ちの是とは何ぞ。
たとえ三百枚の損失を生んだとて、
未だ出会うた事のない出目に会えるという愉悦が、甘美なる世界が、博打の恍惚が、その徳の反対側にこそ、在ろう。
なればそれが、ワシの是である。
僅か三百枚を投じる事により、道が開ける。
ワシという博打打ちの求める桃源郷への道がな。
安いものではないか。
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