投稿日 |
2015/2/17 |
投稿者 |
定年君 さん |
年代 |
50代 |
性別 |
男性 |
職業/立場 |
サラリーマン |
パチスロレベル |
中級者 |
私は55才。
週末のある日、行きつけのホールでスロットを楽しんでいた。
長いハマリを超えて、ようやく天井大当たりに到達したその時、左胸ポケットのケイタイがブルブルと震えた。
内心複雑な心持ちでショートメールをチェックすると、二歳年下の妻からだった。
「ちょっと来てください」
いつもの文面だった。
私はケイタイを下皿に放って、妻のところへ向かった。
『来るのが遅い』と言いたげな目つきで椅子に座って、液晶画面を指差している。
目押しを要求しているのだ。
『ボーナス確定』と書かれた画面を見て、私は目で笑いながら、
「だから、この台は7を揃えなくても、ボーナスは始まるから自分でやってよ。」
「わかっているけど、ちゃんと揃えた方が展開に恵まれるような気がするからさあ、つべこべ言わずに早く揃えてよ。」
いつもの会話が交わされる。
私も妻もこの状況を楽しんでいるのだ。
自分の人生を振り返ってみると、そこには必ずパチンコとスロットが関わってきたように思う。
●第一期 : 学生時代(18才から22才)
高校を卒業して覚えたパチンコに夢中になる。
下宿生の自由生活のおかげで、朝から授業をさぼってパチンコして、夕方は大学のサークル活動、夜は麻雀の繰り返し。
親不孝の見本のような日々を過ごしていた。
この時代のパチンコは激動の時代だった。
ホールは手打ちの平台(チューリップ)から電動ハンドルへとシフトしつつ、羽根物が登場した。
そして就職活動の頃には、フィーバー台の誕生を迎えた。
いずれにせよ、楽しい毎日だった。
●第二期 : 独身時代(23才から30才)
なんとか就職できた私は、休日の度にホールへ行った。
ストップボタンの付いたフィーバー台が得意で、仕事はちゃんとやっていたが、仕事の他はほとんどパチンコに時間を費やしていたのは間違いない。
この時代は、アレパチ、権利物、一発台などホールには多種多様な機種が存在し、飽きる暇もなく通い続けていた。
●第三期 : 夫婦だけの時代(31才から39才)
なんとか結婚できた私は、より良い結婚生活の為に、パチンコの時間を減らしていた。
私たち夫婦は、共働きで、旅行やスキーなどいつも一緒に休日を楽しんでいた。
しかし私のパチンコ熱は決して冷めた訳ではなく、一人で休日の時は、必ずホールに行った。
そして、妻がもっとパチンコ好きになってくれないかなあと、考えていた。
そんな時、ホールには画期的なシステムが導入された。
CR機の登場である。
そのおかげで、週末の二日間で60箱も出した妻は、私のパチンコの誘いを断らなくなったのだ。
それ以来、夫婦は旅行に行っても旅先でホールに立ち寄るようになり、今でも小樽や湯布院のホールの話で盛り上がっている。
●第四期 : 子育て時代(40才から52才)
なんとか子供を授かった私たちは、「なにがあっても子育て中心」をモットーにホールから足が遠のいていった。
休日は子供の為に過ごし、週に一度、午後三時から六時までが私に許された遊技時間だった。
だからこそ、貴重な時間を私は本当に楽しんでいた。
ところが、その頃は業界に規制が入り、権利物、一発台が消え、5連止まりのフィーバー台にファンが嫌気をさし、パチンコは冬の時代を迎えていたのだ。
そこで私はスロットを覚えたのだった。
真剣に勉強してみると、これがまた大変奥が深く、その魅力に取りつかれてしまった。
その頃のスロットは四号機の全盛時代。
完全告知機・大量獲得機・CT機・AT機・ストック機など、勉強しないと大変だったがそれも楽しかった。
しっかりオヤジになっていたが、スロットコーナーは若い人が多く、それもまた楽しかった。
●第五期 再び夫婦時代(53才から)
なんとか子供も中学生になり、夫婦だけの時間がまた増えてきた。
それまでも年に数回は二人でホールに行っていたが、この頃になって月に三回くらいは行けるようになった。
私は妻をスロットの世界に引き込む準備を始めた。
最初は完全告知機から、ART機、AT機まで、今では嫌がらずにスロットを打つようになった。
只、目押しを練習しようともせず、台のしくみを覚えようともせず、台を選ぼうともしないのには閉口しているが。
私たちはこうしてパチンコとスロットを楽しんで過ごしてきました。
今後もたぶん続けていくことでしょう。
第五期が終わるのは、私が定年になった時だと思う。
第六期になると、「ホールに毎日行くかもしれない自分」を想像して、今から本当に楽しみにしている。
少なくとも、定年後の虚無感など、私とは縁がないと思っている。
遠い将来、私の墓前にコインを供えている妻と子の姿を想像すると、少し気になることがあります。
パチンコが大好きだった友人の義父が亡くなった時、戒名に【玉】の一字を入れられたことを聞いて不謹慎にも大笑いをしてしまいました。
明日は我が身と覚悟は出来ていますが、今のうちに菩提寺に手紙でも出しておこうかと考える今日この頃です。
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