投稿日 |
2015/2/6 |
投稿者 |
春川亭三七 さん |
年代 |
30代 |
性別 |
男性 |
職業/立場 |
サラリーマン |
パチスロレベル |
中級者 |
名前から察しはつくであろうと思うが、わたしは「落語」が好きである。
座布団に座った人間が30分、ひとりでピーチクパーチクしゃべり続け、最小限の動きと口調の強弱、顔の向きや声色、扇子一つを様々なものに変え一つの演目を表現する、それが落語だ。
落語には自由がない。
動きを大きくしてしまえば、ひとり芝居のようになってしまうし、二人でやればそれは漫才になり、さらに増えればコントのような芝居になってしまう。
コントになれば、小道具を使うことも可能だ。
しかし、落語では、最小限の動きと会話で小道具を作ってみせる。
「聴覚」を通して「脳」に刺激を与える。
そして、その与えられた刺激から様々なものを想像し、絵に描いたスズメが生きているように飛び出し、木彫りのネズミが動き出したように見せるのだ。
「魅せる」という事に制限があるから、「魅せられた」側は頭の中で「創造」し、驚嘆するのだ。
制限があるという事で言えば、ぱちんこやパチスロの存在は似ている。
ぱちんこは、玉のアクションに「制限」をかけた。
「釘」によって。
「正村ゲージ」というぱちんこの基礎を作ったその釘のベースは、「特許」という「制限」をかけず、各社に開発の「余地」を与えた。
その結果、ぱちんこメーカーが生まれ、競争が生まれた。
その競争の結果、「遊技」として存在が認知されて、アミューズメントとしての立場を確立してきた。
今は、「正村ゲージ」の名残はない。
釘のアクションではなく、内部仕様を進化させ、様々なスペックを搭載した遊技機が多くなった。
しかし、主流はCRタイプに偏る。
今やホールには、様々なメーカーの様々なハード(液晶・役物・照明)を擁した、そして様々なキャラクターを擁した筐体が置かれるようになった。
ただし、そのほとんどが「通常時大当たり約1/400、80%で確変継続」するMAXタイプのみだ。
主流がMAXタイプになった結果、ぱちんこは遊べる人間を「制限」してしまった。
しかし、日本遊技機工業組合(日工組)は「自主規制」という網を張り、「行政」からの「制限」をうまくかわしていった。
もちろん、すべてをかわせたわけではないが、自身で「ムチ」を打ち「アメ」を頂戴する手法を警察は認めている。
日工組は怒られる前に最低限のアクションを起こす。
“SANYO”からでた「まわるんパチンコ」は、新内規のたまものだ。
それがどう生かされるかは、今後のメーカー各社の開発力次第。
MAXタイプに依存しない開発に期待したい。
ぱちんこの胴元・日工組と違い、パチスロの胴元・日本電動式遊技機工業協同組合(日電協)は、「制限」の掛け方が下手だ。
「爆裂機はダメ!」と言われるまで爆裂機を出し続け、結果、展示会の時に販売中止に追い込まれるまで出し続けた。
最終的には、風営法の改正につながった。
「申し訳ございません」の舌の根も乾かぬうちに「ストック機」が生まれ、「ハイリスクハイリターン」を継続させた。
その結果、また風営法は改正された。
「パチスロは終わった」という声が聞こえ始めた5号機初頭、良きにつけ悪しきにつけ、各社様々なスペック、ゲーム性の回胴式遊技機が生まれた。
活気を取り戻し、「万枚」をメーカーもホールもユーザーも意識し始めた頃、「そろそろ危ないか…。」と「3000枚自主規制」というものを珍しく「日電協」側から提示した。
ただ提示しただけだったが。
「制限をかけまーす」という舌も持ち合わせているが、一方で「出る台を作れ!」とはっぱをかける舌も持ち合わせている。
だから、開発・販売された機種は簡単に「3000枚」以上出る。
ホールで適当に石を投げれば、十中八九そんな機械にぶつかるようになった。
で、今である。
そんな状況に業を煮やして、ついに法が変わり「かけた」。
まだ、変わってはいないのだ。
現状、徳俵に足のかかった状況だ。
ここで何を示すかが、回胴メーカーの腕の見せ所だ。
今回の規制は、風営法自体に変更はない。
あくまで試験方法の変更だ。
という事は、開発努力ひとつでメーカーは息を吹き返せるはずだ。
今回の内規変更という「ムチ」をうけて、改めて日電協は「アメ」を求めた。
メイン基板の「制限」の限度を上げてもらうようお願いをしている。
ここにもまた、パチスロが終わらない「余地」を生み出そうとしている。
その「余地」は、あくまで「制限」のある中での「余地」だ。
無限に「余地」があるわけではないが、余地の幅を広げることは可能なはずだ。
あくまで風営法のくくりの中でだが。
余地の幅の広がりは結局のところ、エンドユーザーの遊びの幅だ。
「ぱちんこはMAXタイプ。」「パチスロはAT機。」という選択肢は、エンドユーザーの遊技の幅をせばめてしまった。
「MAXタイプが売れればいい」「AT機が売れればいい」という方針は、開発の幅をせばめてしまった。
「MAXタイプを買えばいい」「AT機を入れればいい」というホールだらけになり、エンドユーザーに足を向けてもらえる幅をせばめてしまった。
しかし、引き返す「余地」はまだある。
完全な改正を迎える前に、「6号機」というくくりになる前に、7号業界には制限の幅を広げられる力がある。
冒頭にちらっと書いた落語。
落語も時代によって型を変えてきた。
表現に「制限」があるという意味では同じだ。
いまや一言に落語と言っても「古典落語」というものがあり、「新作落語」が生まれ、さらには「創作落語」まである。
その「幅」は多岐にわたる。
時にその表現は、表現者によって大きく作品のイメージが変わる。
ぱちんこ・パチスロも同じだ。
例えば、ロボットアニメの版権ものを「サミー」が作るのと「大都技研」が作るのでは、期待も作風も大きく違う。(おそらく販売台数も)
ぱちんこもパチスロもまだまだ「幅」がある。
数多ある「制限」を超えて、より面白くなる「幅」がある。
その「幅」が業界発展の「伸びしろ」であったらいいと思う。
その幅が「舌」の幅ではないことを願いつつ…。
「もう2枚舌はごめんだ!」と憤りつつ…。
お時間です。
ご拝読ありがとうございました。
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