投稿日 |
2015/1/20 |
投稿者 |
バルハチ さん |
年代 |
30代 |
性別 |
男性 |
職業/立場 |
サラリーマン |
パチスロレベル |
初級者 |
こんにちは。
バルハチです。
今回は独立編を投稿します。
過去の話でございますので、身も心も言葉遣いも昔に戻して書いております。
では、今回もよろしくお願い致します。
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前回までのあらすじ。
初代北斗によりパチスロに目覚めた僕。
そしてクソ負ける僕。
(※お詫びと訂正。 最近整理をしていると過去の収支表が見つかりました。 そうすると、500kも負けてなかったです。 475kでした。 期間も1カ月半ほどかかっておりました。 些細なことかもしれませんが、訂正させて頂きます。 申し訳ございません。)
大学の先輩であるkさん(♂)に、己の身体を差し出しつつ弟子入りする僕。
なんとか人並みの技術&知識を身に付け、ようやく一人で立ち回り始める僕。
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さて、独立し、一人で立ち回ることを始めた僕なのだが、この時期が一番長い。
大学2回生の後半から卒業まで、2年ちょっとがその期間に当たる。
そして長い故に、多くのエピソードがあり、一つ一つを紹介できない。
よって、エピソード的なことはまた今後の機会とやる気があれば紹介するとして、今回はどんな立ち回りをしていたのかを紹介したいと思う。
4号機真っ只中ということもあり、基本は設定狙いを軸に、ごく稀にゾーンや天井狙いをしていた。
設定狙いはどんなことをしていたのかと言うと、前回の修行編で得た知識等をベースにして、少しアップグレードさせていた。
当時の僕は、最低4軒のホールをマイホとしており、それに2・3件次点のホールを織り交ぜるような恰好で稼働していた。
その4軒のマイホでは毎日閉店チェックを行い、ジャグラーの回転数とボーナス確率から、仮想の出玉をエクセルで計算。
(もちろんリプレイ確率やブドウ確率なども考慮して)
推測設定を割り出して、その日のイベントなどと関連付けを行い、店のクセ等を見抜くことを行っていた。
出玉の推移グラフなども作成していた。
ジャグラーより格段に難しくなるが、怪しいと思ったら北斗や他の機種も似たようなことを行っていた。
現在はネット上でデータを見れる進歩ぶりらしいが、やはり直の下見が良いのだろう。
所詮は仮想上の話なので、実際の設定と合ってない部分もあっただろう。
しかし店によっては設定発表をしていた時代だったので、それなりに答え合わせはできたし、店の傾向を知るには十分役に立った。
また、一番役にたったのは、ガセイベントやガセ設定発表に対して、比較的早めに気づくことができ、良い店の判別に使えたことである。
例えば、とあるホールの北斗イベントに師匠であるkさんと参加したことがあった。
そのホールはスロット200台足らずくらいの小規模ホールで、毎週月曜と木曜が北斗イベントなのだが、基本出ていない。
客付きも悪く、朝もあまり並ばなくて良いホールなのだが、1ヶ月に1回程度は北斗が出ているのである。
なんとかその1ヶ月に1回を予測できないものかと、前述した店のクセ、近隣店舗とのイベント具合、推測出玉、給料日との位置関係、月の満ち欠け、店長の性癖など、いろいろと試行錯誤した。
結果、1ヶ月に1・2回は出している本物の北斗イベントがあることがわかり、そのうち1回を狙って、kさんと参加したわけである。
ちょうど背面合わせで稼働し、僕は12700枚、kさんは約10000枚出すことに成功した。
(当時の記録から僕の出した枚数はわかるが、kさんはちょっとアバウトです)
蛇足ではあるが、背面合わせということもあり、kさんが僕の尻に熱い視線を送っていることを感じながらの稼働だったので、なかなかの恐怖稼働であったことも記憶している。(kさんは童貞、ホモ疑惑)
このような美味しい思いもしていたが、だんだんとイベントは激化していき、機種自体も5号機へと移行していく時代である。
ノリ打ち軍団、エナ専の激増や、予測はしても取れないことも増え、少しずつスロに対する情熱は冷めていった。
さらには就職である。
一人暮らしをしていた大阪の南の地から、地元兵庫へ帰ることとなった。
少しパチスロ打たなくなった、疎遠編へと続く。
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最後まで読んで頂きましてありがとうございました。
独立編は冒頭にもあった通り期間が長く、どう書けばいいのか悪戦苦闘しました。
エピソードもあまり入れられてないので、面白くなかったかもしれません。
申し訳ありません。
次回以降がんばります。
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