投稿日 |
2014/12/3 |
投稿者 |
バルハチ さん |
年代 |
30代 |
性別 |
男性 |
職業/立場 |
サラリーマン |
パチスロレベル |
中級者 |
こんにちは。
初めての日記投稿になります。
まずはクランキーさん、10周年おめでとうございます(←遅くね!?)
今更で完全に私事なのですが、私がこのサイトを見始めて今月で10周年なのです。
ついでにパチスロ始めたのも10周年です。
パチスロを始めて半年後くらいにこのサイトを見るようになったので、おそらく私がパチスロに目覚めた時期と、こちらのサイトが稼働し始めた頃が一緒くらいかなぁと。
それ以来ほぼ毎日チェックはしていましたが、書き込みや投稿は一切したことありませんでした。
ですので、この日記に投稿するのはドキドキです。
急に投稿しようと思い立ったのには、大した理由はないのですが、10年という節目を共に迎えられたこと、あと自分の中では花火さんの行動力の影響が大きいと思います。
花火さんのコラムを読むと何かしたいという気になります。(忘年会も参加してみたかった・・・)
さて前置きはこれくらいにして、題名通り10年前に私がパチスロに出会った頃の話をさせて頂きたいと思います。
言葉遣いも心も10年前に戻し、稚拙ではございますが素の文章で書き綴らせて頂きたいと思います。
**********
あれは今から10年前、いや10年と半年か、いや、4、5カ月くらい前か、、、、なんかそこらへん。(←アバウト!イェー!)
当時大学生だった僕は、来る日も来る日も麻雀麻雀。
そして、徹マンをしたある日のことであった。
その日は大勝利を収めた僕だったのだが、一緒に麻雀していた一つ学年が上の先輩(以下kさん)に、
「その金持ってパチスロ行かへん?おもろいで〜」
と誘われた。(ちなみに大学は大阪の南のほうなので、基本関西弁です)
僕が育ったのは兵庫の神戸の辺りで、珍しいのか分からないが、市の条例でゲーセンやパチンコ・スロットホールは作っちゃだめよ!と決まっていた。
そのため、そのようなホールがどのようなものか知らなかったし、あまり興味をもっていなかった。
しかし、そこは若さゆえの好奇心。
「まぁ行ってもいいスけど、教えて下さいね〜」
若干の警戒心を覗かせながらも承諾し、当時一人暮らししていた家から歩いて10分くらいのホール、「爆発憤死ホール(仮称)」に赴いた。
当時は初代北斗全盛期であり、御多分に漏れず僕はkさんと並んで北斗に着席。
(ちなみにこの「爆発憤死ホール(仮称)」はボッタ店として有名であった)
もちろん初打ちで目押しもできないので、ジャラララーンとギター音と人影が出る度、kさんが目押し。
何か子役が揃いそうであれば、kさんが横から目押し。
今思うと、学生二人がキャッキャッと北斗を打つ姿は周囲の人からはうざかったかもしれない。
ホモに見られたかもしれない。
しかし固い意志を持って、kさんに体を許したことはないと誓おう。
で、10kほど使い、初めての当たり。(というかkさんに当ってるよと言われた)
「ほう、これが当たりか。kさんよ、揃えてみせよ」
7が揃えられない僕はkさんに出動依頼。
しかしkさんは、
「自分で揃えてみな!赤い7狙うんやで。これも練習や」
今まで10ゲームに1回は隣から目押しをしてくれて、手とり足とり教えてくれていたのに突然の試練。
二人の蜜月の時は終わったんや!
心の声 『なんなんこいつ!押してくれたらええやん!まじムカツクんですけど〜』
と思いながら、赤7を狙う僕。
10ゲームくらい揃わぬ赤7を狙い続ける僕。
それくらいで確定画面に変わったんだったかな。
ま、赤7見えてないんですけどね。
赤7が揃わないまま10ゲームほど過ぎ、確定画面に切り替わった時、隣のkさんが見かねたのか、
「しゃあないな〜。揃えたるわ。見とき」
突き放してからの、この優しさ!見事な落差ッ!
心の声 『ヒャアァ!惚れてまうやろーー!今夜は抱かれてもいいかも』
頬を赤らめる僕の隣から、手を伸ばしカッコ良くkさんが目押し。
ビシィ!バシィ!ズベェェ!
赤7揃いませんでした。
心の声 『ダセェ!kさんダセェ!そんなんやから童貞なんや!ペッ!』
などと思っていると、kさんが、
「おいおい。これ北斗揃いじゃねー!?」
と何やら興奮気味。
そしてもう一度・・・
ビシィ!(ジャラララーン)バシィ!ズビシィ!!!(北斗揃い第一停止はギター音が鳴ったと思う)
黒い長方形の図柄が揃う!!
そして、赤オーラ!
初打ち初北斗が北斗揃い赤オーラ!
(北斗揃いはほぼ84%以上の継続率。その時は演出からおそらく89%の継続率)
そういえば僕が初めての麻雀で、
僕 「同じ絵柄揃えるんやろ?3、3、3、3、2、あ、上がった。見てやー役何ー?」
一同 「何々・・・ス、四暗刻!役満やーん!!ジョワァァ(一同失禁)」
一時期、豪運(ゴウウン)というあだ名がついていた頃の話である。
ま、当時の僕は全く分からなかったんで、数字揃ってないからあかんほうかぐらいに思ってたわけで。
「パチスロ好きなkさんは、当たりが来たらこのように興奮するのか。フッ、醜いな、だから童貞なのか」ぐらいに思ってたわけで。
kさんはけっこう投資がかさんでいたようで、
「とりあえずナビ通り打って、続く限りがんばれよ。俺は他行ってくる」
と言い残し、スピードワゴンのごとくクールに去っていった。
で、まあ打つと、勝ったり、耐えたり、レイったり、トキったりで闘い続けていくケンシロウ。
倒れても、
ピンクロリ娘 「ケーーーーンッ!」
赤いパイオツ 「ケンシロウッ!」
ケンシロウ 「ウォォォオ!!」
とムクムク勃ち、、、立ち上がるケンシロウ!
ピキーン!ドピューン!!
で、19連目!
kさんもちょっと離れたところで見ている。
ラオウ、キック!
ケンシロウ、吹っ飛ばされる!
ケンシロウ、立ち上がらない!(←雲流れるかは知らないので見てなかった)
ベット!
バシューン!!
離れたところで見ていたkさんが近づいてきて、
「おいおい!何やってんのー!?あと1回やったでー」
んなこと言われても、何も知らない僕は、
「けっこう増えましたよ!」
「ま、まぁ初打ちにしてはラッキーやったな。昇天見れへんかったけど」(←チョット嬉しそう)
後に、20連すると昇天というプレミア演出が見れることをkさんに教わった。
また、彼がそれをまだ見たことがないことを知り、なぜ僕が昇天まで行かなかったことを少し嬉しそうにしていたのかわかった。
ヤツは糞だ!だから童t・・・と当時は思ったものだ。
そして結果だが、チョット回してから換金して、30kくらい勝ったのだった。
今思うと大した勝ち額ではないが、当時の僕はこう思った。
「パチスロ、簡単すぎー!!余裕ペロペロやで!」
こうして10年前大阪の南の地で、また新たなパチスロ狂戦士が生まれたのであった。
**********
私の稚拙な文章にお付き合い下さいました方々、有難うございました。
少々乱暴な言い回しもあったでしょうが、何卒ご容赦下さい。
ここからはちょっと日記の趣旨から外れるのですが・・・
このサイトと共に歩んできた10年。
思い出されるクランキー(♀)の番長引き強伝説や、クランキーさんの北斗ショボ連引き弱伝説。
あれ、最近(♀)さん見ないと思ったら、いつの間にか別人と結婚して、子供生まれているクランキーさん。
2014年3月のパチスロ日記にあったハバタケさんの投稿に全て私の言いたいことが含まれていて、読んでて少し泣きました。
目を覚ましてからしばらくして、思い出し・・・泣いた・・・・。
私より遥かに文章力のある方なので、きっと私はあそこまで核心的なことは書けませんが。
とにかく、私もクランキーさんを見習い、今では結婚し、今年から1児の父となりました。
これからも末長くサイト運営と、幸せな家族でいて下さい。
ちなみにこのあと、
・散財編
・修行編(←このあたりでこのサイトを知る)
・独立編
・疎遠編
・復活編
・養分編(←今ココ)
・その他
とありますので、もし掲載されましたら続編を投稿するかもしれません。
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