投稿日 |
2012/8/27 |
投稿者 |
さくま僥倖ゆうそう さん |
年代 |
20代 |
性別 |
男性 |
職業/立場 |
その他 |
パチスロレベル |
初心者 |
イチローの名言だと気づいた人はいたでしょうか。
どうも、さくま僥倖ゆうそうです。
さて、今回は最高のギャンブルパートナーについてお話します。
その友人の名を仮名として『さくまゆうそう』とでもしておきます。
ゆうそうと省略させてください。
さてさて本題です。
彼とは同じ高校でした。
そんなに仲良しだった記憶もないのですが、麻雀仲間程度だったかと思います。
しかし、今となっては北海道にいる自分と九州にいるゆうそうですが、ばりばり交友があります。
その架け橋となったのはパチスロでした。
彼は東京の大学へ進学、ぼくは地元北海道の大学へ進学したのですが...
大学一年生の夏休みのこと、ひょんなことからパチンコ屋へ一緒にいったのでした。
ぼくもパチンコをかじった程度...
ゆうそうはパチンコ完全初心者で、大当たり中ハンドルを放しジュースを買いに行き、たまたま隣にいたおばあちゃんがハンドルを回してくれていたという事件を起こしていました。
そして「年末また打とう」と言い残し、別れを告げたのでした。
ぼくは大学で後に大きな影響を与えることとなるスロの神様的な人間と出会い、パチンコからスロットへ転向しました。
そこから4号機北斗まっしぐらでした。
ゆうそうは東京へ戻り、我流でスロに転向し、ビギナーズラック満点のおそまつくん全員救出からの万枚、アラジン万枚によりスロットまっしぐらでした。
ちなみに彼はおそまつくんとアラジンのバーが当時見えなかったらしく、店員さんに何度も押してもらうという事件を起こしていました。
そんなこんなで年末には毎日銭形のリセットからスタートし、天井&ゲーム数&モード狙いというTHE大学生な立ち回り、翌年には東京遠征で南国ゲリライベント隣同士で6ツモ企画、その翌年には12時間立ち回りバトルと大学4年間は充実したものでした...いや悲惨なものでした。
そんなどっぷりスロットに浸かった、そして4号機全盛期という、時間さえあれば勝てたヌルい時代に浸かったぼくたち...
その反動は訪れました。
ぼくは就職し、ゆうそうは北海道の大学院へ戻ってきた。
そう、5号機の冷たい時代...
ハイエナという言葉は消え、肉6ツモるためにみな必死に並ぶ(北海道は基本抽選はありません)時代...
まごころまでは適応していました。
知識があればカウントしつつ勝てた時代でしたからね。
でも4号機の時代に比べると勝ちづらさは言うまでもなく。
そして、互いに忙しくなり久しぶりに一緒に打ちに行くようになったときは、エウレカによる5号機革命真っ只中でした。
この時代から小役カウントはあくまで設定の確認作業であって、設定推測としては弱い。
もはや、ホールのくせを読む...そして台を読む...そこに全てが詰まっていた。
ブランクのある...ぼくらには勝てるわけがなかった。
そんな甘い時代ではなかった。
そして本題です。
タイトルの180度というか540度違う立ち回りになったのです。
ぼくもゆうそうも初心者なのは重々承知ですが、最低限の知識と立ち回り術はわきまえているつもりです。
しかし、ゆうそうは540度違う立ち回りに達したのです。
もはや神と呼べる域だとぼくは思っています。
いくつか紹介します。
まずパチンコです。
ぼくらはボーダー甘めの台を良釘を探し打っていました。
しかし、ゆうそうの540度違う立ち回りでは、釘ものぞきつつデータ指示機を見るのです。
なんと彼はあのパチンコという完全抽選確率機でデータを操ろうとしたのです。
履歴とか見ている貴族なおじさまやおばさまを「ふっ」と上から見ていたゆうそうが、データ指示機を真剣に見ています。
彼は神となったのです。
そして、パチスロ。
さすがにアイムのビッグ先行台とか打つわけではありません。
ある程度立ち回りの基本というものが染み付いている以上それはないようです。
なにかというと、バーの回数が多い台の中でGOGO!ランプやあのピエロの絵を直視するのです。
そして感じるのです。
できるだけバー確率とかスランプグラフからぶどう確率を推測して...とかではありません。
バー合格台の中から感じるらしいのです。神です。
その他にも様々な540度違う立ち回りがあるのですが、ついに彼は極めたのです。
『負けるとわかっていて打っている』そう言ったのです。
かっこよすぎます。
ゆうそうは負けるのをわかってて打っているのです。
でも、彼はこう言いました。
「おれはそこらのひたすら負けてるやつらとは違う。おれは負けることをわかっていて負けているんだ。あいつらは打つ前は勝てると信じきってやがる。おれは違うんだ。だから、負け組ではない」と。
...いや完全に負け組だろ。
ちなみに彼は競馬歴半年で、一緒に札幌開催に毎週のように突っ込みました。
しっかり万枚ほどJRAに寄付しました。
札幌競馬場の芝生の一部はゆうそうのお金で蒼く輝いているのです。
北海道や九州のパチンコ屋のトイレがきれいなのは、もしかしたらゆうそうが負けることをわかっていて負けてくれたからかもしれません。感謝しましょう。
そんなぼくはゆうそうを尊敬しています。
一緒に行って勝って嬉しい気持ちを共有できるのは当たり前ですが、負けても楽しい気持ちにさせてくれる最高のギャンブルのパートナーだからです。
今は北海道と九州で離れていますが、年末打つ機会があれば、また伝説を紹介したいと思います。
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