投稿日 |
2010/9/4 |
投稿者 |
YAN さん |
年代 |
30代 |
性別 |
男性 |
職業/立場 |
サラリーマン |
パチスロレベル |
上級者 |
初めて投稿します。よろしこ。
かなり長いけど、よかったらお付き合いください。
もう6〜7年前の話になります。
その頃の僕はスロでの勝ち方を覚え、サボリーマンをしながら優雅に稼いでおりました。
毎日営業に出るふりをしてスロ屋へ直行。
スロプロ夫婦とキンパルのE探しが日課でした。
当時その店はキンパルが1シマ15台あり、その中の2〜3台はE(ストック消しなし)という超優良店。
客レベルも低く、Eをツモっては3人でよく稼いでいました。
ちなみに僕の初万枚はキンパル。
朝一千円でビッグを引き、おなかの中に二千枚抱えていたEは閉店までに48回のビッグを放出しました。
初めての万枚にとても興奮し、ご意見ポストにはKちゃんへのお礼手紙を書いたほどです。
あ、Kちゃんはこの店の設定師で主任さん。
会話を交わしたことはほぼ無しで、直接的には顔と名前だけを知っているくらい。
でも他の従業員と僕らが仲良かったこともあり、お互い間接的に会話をしていた感じでした。
彼は僕たちをライバル視していたところもあり、キンパルに設定を入れつつもそれに僕らがたどり着けなかった場合はとても喜んでいたらしいです。
さらにこのKちゃん、とってもお茶目な設定師で、高設定が稼動していないことがとにかく嫌い。
ある日のこと、僕とスロプロ嫁がキンパルのE探しをしていると、カウンターにKちゃんの姿が。
それに気づいたスロプロ嫁が注目していると、Kちゃんマイクを使ってなんとこんなことを言い始めました。
「えー、ただ今サラリーマン金太郎の設定Eが空き台になっております…。」
この頃の僕はAT機に拒否反応があり(初めて打ったスロがコンチ4X。ビギナーズラックの後はボロボロにされた)、きょとんとしていましたが、隣を見るとスロプロ嫁の姿がありません。
15秒後、「YANちゃん、サラ金ノリ打ちでE探ししようや」というお誘いが…。
迷っていると、「Kちゃんなら角2やろ。 角2、角3押さえたから大丈夫やって。」
確かに僕らの間では、Kちゃんはとにかく角2好き。
もしくは角、角3。
「まあえっか」と軽い気持ちでやってみることに。
昼過ぎから打ち始め、16時頃にはスロプロ嫁が打っていた角2がEと確信。
子どものお迎えがあったスロプロ嫁と17時過ぎに交代し、すぐに僕が引いた金チャンが閉店まで続き、15,000枚出たこともありました。
その後キンパルが2シマ30台になったりして、素敵なスロライフを過ごしていましたが幸せは長くは続きません。
ある日、仲の良かった従業員から声をかけられました。
その従業員から衝撃の言葉が…。
「K主任がS県に転勤になります。」
うそーん。
Kちゃんおらへんかったら、俺ら稼がれへんやん。
嘘やと言ってやあ…。
本当にびっくりしました。
従業員は続けます。
「○日がこの店で最後の出勤になります。 その日には○○さん(スロプロ夫婦)と一緒に必ず店に来るようにと言ってました。」
あかん。
Kちゃんとお別れなんて考えられへん。
しかも○日は絶対はずされへん会議あるし。
○日当日。
朝から店に言っていたスロプロ夫婦から昼ごろ電話がありました。
キンパルがすごいことになっていると。
夕方店に行ってみるとキンパルのシマの柱に、安っぽいコピー用紙にワープロの墨文字だけで「1日限定イベント“Present for you”」と書いた張り紙があります。
ワッショイ、ワッショイとなっているシマを見ながら佇んでいると「遅いなあ」との声が。
Kちゃんでした。
耳元で「今日半分Eやで」と囁くKちゃん。
「ごめんな。今日はほんまどうしようもなくて、今なんとか来れてん。」
その後二人の間には会話らしい会話はありませんでしたが、なんとなくお互い分かり合えていたような空気がそこにはありました。
その日は結局なんとなく打つ気になれませんでした。
その後はマイホもかわり、4号機が残っていた3年前までは年間収支も常に大幅プラスでした。
しかし5号機全盛の今ではなんとか凌ぐのがやっと。
あの頃のような時はもう来ないんだろうなと思い返しながらこの日記を書いています。
だってあの頃、サラリーマンしながら3ヶ月で120万円稼いだこともあるのに。
Kちゃん今どうしてるんやろ。
読者さんのパチスロ日記 メニューへ戻る
パチスロ日記大募集! お気軽にお送りください!