[1]マジカルハロウィン5初打ち [ 2016/6/18 ] |
こんにちは。
バルハチです。
今回の前置きコーナー!
ちょっと前置きにふさわしくないような話をします。
震災関連です。
あまり見たくない人はブラウザバックか、前置きを飛ばすことをお薦めします。
熊本での大地震関連の報道も、当初に比べると少なくなってきましたね。
まぁここで書くような話でもないのですが、前置きは僕が好きに書く場所なので、ちょっと体験談を書かせて頂きます。
僕は小学生高学年の時、阪神淡路大震災に被災しました。
当時の報道で阪神高速の高架が国道に落下している場面がありましたが、あの近くに住んでいました。
断水が2週間以上続いた、かなり被害が大きかった地域です。
阪神淡路大震災が起きたのは1995年1月17日、午前5時46分。
多くの人がまだ寝ている時間です。
僕も寝ていました。
僕の家は震災を受けて半壊状態で、なんとか外に脱出できたのですが、外は本当に大変でした。
ブロック塀などは軒並み倒れ、2階建ての1階部分が潰れている家もありました。
完全にバラバラに倒壊している家もありました。
潰れた家の中から住人の「助けてくれ〜」と言う声が今でも耳から離れません。
近くの公園に一旦避難し、父親は潰れた家の住人の救助に行きました。
そして僕の家から5キロ程離れた所に母方の祖父母が住んでいたのですが、その安否確認には僕が行きました。
父親は救助、母親は妹から離れられず、小学生の僕が行くしかなかったのです。
道路の所々でアスファルトは裂け、潰れた建造物が飛散し、歩いてしか行けません。
祖父母宅は平屋だったのですが、屋根が崩れ、家自体が傾き、梁が屋内に落ちているような状態でした。
幸い祖母は無事でしたが、祖父は病気の関係で寝たきりだったので、家に取り残されていました。
その時はなんとか梁の隙間で祖父は潰されずに済んでいますが、次に余震が来るとどうなるか分かりません。
なんとか梁の間を抜け、祖父を救い出したのですが、小学生の体に大人の体重はすごく重かったことを覚えています。
その後は、無人になった近くの病院に行き、塀をよじ登り、車いすを拝借し、祖父を乗せて祖母とともに自宅に帰りました。
(拝借した車椅子は後日ちゃんとお返ししましたよ)
帰ったところで自宅では暮らせませんので、しばらくの間は小学校の体育館で避難生活をしました。
1月の体育館はとても寒かったです。
これは僕の体験の一部ですが、同級生はもっと凄惨な体験をしています。
水が出ないので、池や川の水を飲んだやつ。
家が火事場泥棒に荒らされたやつ。
好きな女の子が亡くなったやつ。
同じ部屋に寝ていた弟がタンスに潰されて亡くなったやつ。
もう会えなくなったやつ。
何が言いたいかと言うと、こういう体験をすると、心に傷が残るんですね。
トラウマ、PTSDってやつです。
僕も普段意識していないのですが、震災の報道がされているとテレビを直視できません。
テレビに映る、潰れてしまった家を見ると、気分が悪くなって物理的に見れないのです。
ほなまぁ書くなよ、って話なのかもしれませんが…。
記録を残すとか、記憶を風化させないとか言いますが、子供の頃に受けた心の傷は繊細です。
周りの大人が記憶を風化させてあげることが大事だと僕は思います。
災害が起きたときの救助派遣、支援物資、ボランティアは昔に比べ、飛躍的に迅速な対応になりました。
素晴らしいことです。
ただ、モノやその時だけじゃない。
今は目に見えないココロや、将来のことも、意識することって重要だと思います。
僕自身、東北や熊本の報道を見て、自分に心の傷があることを意識します。
僕でコレなのですから、もっと凄惨な体験をした方々の心の傷は、想像すらできないほどでしょう。
20年以上経っても心の傷って消えないものなのですね…。
状況が少し落ち着いてきた今だからこそ、心の配慮を大人から子供へ向けて考える時なのかなと思います。
前置き終わり!
ちょっと前置きで暗い話になってしまいましたね…。
しかしここからは気分を切り替えて、いつもの僕らしく適当な稼働を適当に綴らせていただきますよ!
今回はタイトル通り、マジハロ5を初打ちしてきました。
今頃になって…。
だって人気で座りにくかったし。
3月は沖ドキでお金なかったし。
パトレイバーに乱心していたし。
といろいろ言い訳してみましたが、なんだか評判いいらしいですね。
立ち回り講座の「ホール側の扱い方」を読むと打ちたくなっちゃいました。
前置きに熱くなったので、稼働はサラッと行きましょう!
今回は画像も少なめですみませんが、宜しくお願いします。
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